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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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城巡りのススメ その2

ブログ |

今日も城を巡りました。

まず最初は、久保田城。

photo:01



関ヶ原の戦いで石田三成に義理だてし、兵を出さなかった佐竹氏が茨城から転封されて開いた平城です。

私も勘違いしていましたが、天守閣はなかったんですね。
つまり、戦う備えではなかったわけです。

photo:02



佐竹氏が清和源氏の流れとは知っていましたが、家系図をみると武田信玄の武田家と近く、佐竹氏が本家筋になることは初めてしりました。

また、佐竹の家は戊辰戦争で最後は新政府方についたので、このへんは盛岡などと温度差がありました。

次の城は、角館にある古城山城。

photo:03



ここは佐竹氏がやって来るまで数百年戸沢氏の居城でした。

城下の町は佐竹氏一色になってますが、転封された戸沢氏や当時の領民の気持ちを想像しました。

photo:04



今の選挙区替えとはレベルが違います。政治家は昔の方が大変だったのかもf^_^;

三つ目のお城は、
今回4つ目の100名城の一つ南部氏の盛岡城。

photo:05


昨日ブログに書きましたが、
南部氏のルーツは14世紀に山梨からきたことから始まります。

最初は青森の三戸からスタート。
それが下北半島から遠野まで領地としたわけですから凄い手腕です。

photo:06



しかし、驚くことに盛岡藩の当初の石高はたった10万石。

加賀が100万石ですから、領地の割に少な過ぎます。
これかなり領民に還元していたのでは?なんて想像してしまいます。

その盛岡城は、本当に100名城?というくらい何もありません。

photo:09



お隣のもりおか歴史文化館はかなり立派ですから、もう少し城の整備をしては?と感じます。

photo:07


そのあたりを4年ぶりにお会いした盛岡市議会議長の金沢陽介氏に聞いてみました。

photo:08



すると、、、

盛岡は戊辰戦争で負けてから、かなり自分たちの主張を抑えてきた。
城の整備にもそれが、表れているのでは。

といった意見でした。

確かにそれはあるかもしれません。

しかし、今の時代にもう戊辰戦争を引きずることはありません。
盛岡は盛岡の正義を堂々と語るべきだと私は思います。

今日改めて気づきましたが、
金沢議長がおっしゃる『盛岡の配慮』は、
大東亜戦争で負けた『日本の配慮』に繋がるように感じます。

負けたんだから、、

というのは理解できますが、
いつまでも歴史の裏に押し込めらていると、次の世代がちゃんと育ちませんん。

もっと自分たちの地域や国の歴史や誇りはしっかり語り継ぐべきです。

外に押し付ける必要はありませんが、内うちではしっかり次の世代に伝えるべきです。

地域に歴史やドラマのたくさんある地は、羨ましいf^_^;

南部氏の歴史をドラマにしたら面白いでしょうね。

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プロフィール写真

神谷宗幣 (かみや そうへい)イシキカイカク株式会社 代表取締役
参政党 事務局長
龍馬プロジェクト全国会 会長
予備自衛官 三等陸曹

昭和52年福井県生まれ。関西大学文学部・関西大学法科大学院卒業。
 21歳の時、1年間海外で生活し、外国の若者と交流する中で「日本人に生まれたことの感謝」と「思考停止している日本の若者への問題意識」に目覚める。20代は高校で「英語と世界史」を教え、実家の食品スーパーの倒産を経験することで、教育の課題と地方経済の疲弊を実感する。
政治からのアプローチで「日本の若者の意識を変える」ことを目指し、2007年に29歳で吹田市議会議員に初当選。市議は2期6年、吹田市議会の副議長まで務め、2012年議員辞職して衆議院議員選挙に自民党から挑戦するも落選。
 2013年に株式会社を設立。インターネットチャンネル「CGS」を開設し、政治や歴史、経済をテーマに毎日番組を配信し、若者の意識改革に努める。また、日本人の意識改革のための海外研修及びセミナーや、「CGS」とリンクした「歴史」「主権者教育」「キャリアデザイン」「政治のしくみ」などをテーマにした講演は、若い世代を中心に多くの支持を得ている。令和2年、「参政党」を結党し、世の中の仕組みやあり方を伝えながら、国民の政治参加を促している。

執筆活動も行い、主な著書として「大和魂に火をつけよう」(青林堂)「坂本龍馬に学ぶ「仲間をつくる力」(きずな出版)「子供たちに伝えたい「本当の日本」」(青林堂)などがある。