日々の活動やニュースに対する考え、視察の報告などをブログにまとめています。

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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)

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ベトナムに生きた日本人

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皆さんは、大河ドラマの黒田官兵衛をみていますか?

彼が生きていた頃、ベトナムに1000人規模の日本人集落がありました。

その街の名前はホイアン。

海のシルクロードの拠点として栄え、日本人が朱印船貿易を行った港町です。

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そこには1601年に日本人によってかけられた橋があります。

日本人が徳川幕府の鎖国政策で帰国を余儀無くされた後は、すっかり中国風の橋にされていますが、今もその場所に残っています。

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また、1000人もいれば、現地の方と恋に落ちた日本人もいます。

鎖国政策が進められても現地に残りなくなった谷弥次郎兵衛さんのお墓参りに行ってきました。

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田んぼのど真ん中にポツンとあるお墓ですが、ちゃんと花も供えてあり、線香も私がいく前からついていました。

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1617年没、と書いてありました。
400年前に日本から遠く離れたこの場所でどんな人生をおくられたのでしょう。

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想像が広がります。

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そんな日本にもゆかりのあるホイアンは、その街並みが世界遺産に登録されています。

来ているのはほとんど欧米人でした。

ベトナムにはとにかく欧米人がたくさん来ています。
環境なのか、物価なのかわかりませんが、日本の沖縄などの観光を考えるヒントがありそうな気がしました。

沖縄も海のシルクロードの拠点ですからね。

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気になる台湾

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23日の政府の鎮圧で収束させられるかとおもいましたが、

頑張りますね、台湾の若者たち。

もちろん活動家みたいな人も混じってましたが、普通の学生たちも真剣に考えていました。

香港人も共鳴しましたが、

日本の学生には響かないか、、。

台湾からのSOSにいつも応えられない日本です(>_<) 震災ではお世話になったんですが、、 今週、もう一度台湾に行き、私もできることを考えてみます。 平成26年3月31日(月)産經新聞東京版

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野ユリ、野イチゴ…今回は「ヒマワリ」 台湾の学生運動
2014.3.30 20:58 産経

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30日、台北の総統府前でデモに集まった大学生ら。馬英九総統を独裁者のヒトラーに模したポスターと運動のシンボル、ヒマワリを手にしていた(AP)

 台湾の総統府前で30日行われた大規模デモで、中核となったのは、3月18日から立法院を占拠している台湾大学などで組織された野党色の強い学生運動だった。1987年の戒厳令解除後、台湾での学生運動は今回で3度目。いずれも草花の名を掲げている。中国国民党政権による内政運営や中台関係への影響が注目される。

 シンボルの花から「ヒマワリ学生運動」(太陽花学運)と銘打った今回は、台湾大学大学院生の林飛帆氏らが指導。行政院突入で逮捕者を出した後も馬英九総統との対話を拒み、30日のデモまで学生の動員態勢を維持した。

 台湾では、「世界最長」とされた49年から87年までの戒厳令下で、学生運動を含む当局批判の街頭活動が全面的に規制されてきた。違反したケースでは憲兵隊による鎮圧や、首謀者の軍法会議での処罰が80年代初めまで繰り返された。

 戒厳令後で最初の学生運動は、90年3月、約6千人の学生が台北中心部の当時の国民党本部周辺で繰り広げた「野ユリ学生運動」(野百合学運)だった。1週間に及んだ座り込みは、当時の国民党独裁体制を支えた「国民大会」の廃止や、国共内戦体制の根拠だった憲法臨時条項の撤廃など、本格的な政治の民主化を要求。当時の李登輝政権は、学生が求めた民主化を段階的に実行に移した。

 2度目は、2008年11月をピークとした「野イチゴ学生運動」(野草苺学運)だ。発足間もない馬英九政権に対し、対中政策や集会規制などをめぐり抗議した。今回の運動を指導する林飛帆氏らは「大学時代に参加した野イチゴ運動に啓蒙(けいもう)された」と発言。30日も当時と同じ黒服姿でのデモ参加を呼びかけるなど、これまでの学生運動を受け継ぐ姿勢を示した。(山本秀也)

台湾学生デモ、黒シャツで「密室協定」批判 総統府前に10万人

2014.3.30 20:48 産経

 【台北=吉村剛史】台湾が中国と結んだ「サービス貿易協定」に反対する台湾の学生らが立法院(国会に相当)議場を占拠している問題で、学生らが全土に呼びかけた大規模な抗議デモが30日、台北の総統府前の大通りで行われた。警察当局によると、10万人以上が参加した。

 「弱小産業の切り捨てにつながる」と同協定に反対している学生らは、協定は事前協議を経ていない「黒箱(密室)協定」などと批判。デモ参加者の多くは黒色のシャツ姿で臨んだ。最大野党、民主進歩党の幹部らも姿を見せ、反対運動の象徴となっているヒマワリの花を手に「民主主義を守れ」「サービス貿易協定反対」と連呼した。

 南部の台南からバスで駆けつけたという女子大学生(21)は「議会での慎重な審議を認めないのはおかしい」と委員会審議を打ち切った与党、中国国民党を批判した。

 一部学生が23日夜に行政院(内閣)庁舎に突入した際は強制排除で多数の負傷者が出たため、当局はデモを「理性的、平和的」に行うよう呼びかけつつ、不測の事態に備え警察官数千人を投入。総統府周辺では要所をバリケードで固めた。

 一方、協定承認をめざす国民党関係者も、台北市内でデモを行い「議場を返せ」と訴えた。

 馬英九総統は29日夜の記者会見で、改めて協定の撤回を拒否したが、今後の中台協定を監視する制度については「(5月末の立法院の)会期終了前の法制化を支持する」と学生らの要求に一部応じる姿勢を示した。だが、占拠を続ける学生らは不十分だとしており、着地点は見えていない。

香港でも8百人がデモ 台湾国会占拠に支持

2014年03月30日 共同

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香港中心部で、台湾立法院の議場占拠を続ける学生らを支持してデモ行進する人々=30日   

香港中心部で30日、台湾立法院(国会)の議場占拠を続けている学生らへの支持を表明するため、学生や市民ら約800人がデモ行進した。

デモ隊は「民主主義を守れ」「暴力反対」などとシュプレヒコールし、台湾政府に対し学生らの主張に耳を傾けるよう求めた。デモには、台湾から来た学生も参加した(共同)

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反日思想のプロパガンダ

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生きた歴史を知る人間がいなくなると、

嘘の歴史が若い人に刷り込まれます。

しかもそれは戦略的に行われる。

この数日、カンボジアの虐殺資料館やベトナムの顕彰碑や博物館を見て、

また、台湾の金門島を守った根本博氏の本やカンボジアの新聞を読んで、

歴史を教えることの大切さや、情報操作の怖さを痛感しています。

日本人だけでなく、外国人も若い人は歴史をあまり知らない。

だから、意図的に歴史を塗り替えたり、マスメディアで印象操作することは簡単です。

歴史のすり替えは昔からやられてきました。

歴史的な経緯や関係を知らないから
台湾の学生の声も、なかなか日本人には伝わらない(>_<) 台湾が完全に中共のコントロール下に入れば、次は必ず沖縄に来ます。 ベトナムの方と話していると、彼らはまだ戦争の記憶があり、領土に対する意識も日本人よりは高い。 国際的な歴史偽造による日本のイメージダウン。
領土問題や隣国のデモ。
人口政策や移民の課題。

ほとんどの日本人が自分には関係ないと思っていますが、
外国にいて、在外の日本人と話をしたり、非日常の中でじっくり日本の未来を考えるとどれも大変な課題だと再認識します。

危機感のアンテナを無くしてませんか?

こんな活動もあります。

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豪州に慰安婦像はいらない!候補地シドニーにメッセージを送ろう!

http://nadesiko-action.org/?page_id=5983

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江沢民流「反日路線」の復活 中国・習主席 第三国で一方的主張展開
2014.3.29 22:26 [日中関係]

28日、ベルリンで講演する中国の習近平国家主席(AP=共同)

 【北京=矢板明夫】中国の習近平国家主席はドイツ・ベルリンでの講演で執拗な日本批判を展開した。今年初め、世界各国に駐在する外交官を総動員して安倍晋三首相の靖国参拝を批判したのと同様に、第三国を巻き込んで日本の孤立を図る狙いとみられる。外交の最優先課題を「日本叩き」とする習氏の姿は、かつての江沢民元国家主席を思い起こさせる。

 習主席が講演で言及した「日本の侵略戦争の死傷者3500万人」と「南京大虐殺の死者30万人以上」は、いずれも江氏が日本を批判する際によく取り上げた数字だった。裏付ける根拠は乏しく、一方的な主張に過ぎない。中国の改革派の歴史学者の間でも信用されていない数字で、国際社会との協調を重視した胡錦濤政権(2002-12)の間、中国の要人はこれらの数字を口にすることは少なかった。

 習氏の訪独の目的は中独親善にあったはずなのに、関係のない日本批判を展開した背景には、同じ第二次世界大戦の敗戦国でありながら、「ドイツは罪を認め深く反省しているのに、日本には誠意がない」と安倍首相の歴史認識を批判する狙いがあるとみられる。

 しかし、日本との関係も重視するドイツには、日中の対立に巻き込まれたくないとの思いがある。ロイター通信などによると、習氏はベルリンのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)記念碑を訪問して記者会見を開きたいと希望したが、ドイツ側に拒否されたという。

 中国外務省関係者によれば、習政権は日清戦争の開戦120周年に当たる今年を「日本の軍国主義勢力と闘争する1年」と位置付けている。1月にはハルビン駅前に反日活動家、安重根の記念館をオープンさせ、2月末には12月13日を南京事件の「国家哀悼日」に定める法律を採択。さらに、民間の反日活動家らも動員して戦時中、日本で使役された元中国人労働者に日本企業を訴えさせたのも、その延長線上にあるという。

 ドイツでの講演はその一環といえ、反日キャンペーンは今後も続きそうだ。

「日中戦争の悲劇、鮮明に記憶」 中国主席、ドイツで対日批判
2014.3.29 08:52 [中国]

 【ベルリン=宮下日出男】ドイツ訪問中の中国の習近平国家主席は28日、ベルリン市内で講演し、日中戦争では「日本の軍国主義によって3500万人の死傷者が出た」と述べ、「この悲劇は今も鮮明に記憶に残っている」と強調した。

 また、日中戦争時に旧日本軍の南京占領下で起きたとされる「南京事件」にも言及し、旧日本軍が「30万人以上の兵士や民間人」を殺害する「凶悪な罪を犯した」と批判した。

 習主席は安倍晋三政権への直接的な批判はしなかったが、過去に言及することで対日批判を展開した。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の歴史を抱えながら関係国との関係改善を果たしてきたドイツで、中国が一方的な主張を繰り広げた形だ。

 習主席は講演で、南京事件の当時に現地に駐在し、その様子を記した日記が死後に出版されたドイツ人のジョン・ラーベ氏をたたえ、「中独友好を示す多くの感動的な話の一つだ」と評した。

 また、「中国人は自分にされたくないことを他人にしてはならないとの信念を持っている」などと語り、中国が周辺地域の平和と安定を望んでいていると主張した。

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ベトナムの光と影

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今日は朝の7時から一人でハノイ市内をまわりました。

バイクタクシーという名の原付に乗ったおっちゃん達を捕まえながら周ります。

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まず最初に行ったのはホーチミン廟。

ホーチミンさんの遺体が安置されていて、ガラス越しに見ることができます。
日本人の感覚ではあり得ないんですが、多くのベトナム人が手を合わせていました。

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その後、ホーチミンさんの家とホーチミン博物館に。

カンボジアでは国王の肖像画がいた塁ところにありましたが、ベトナムはホーチミンさんです。

どこの国にも国家統合の象徴は必要なんです。
日本はどうでしょうか?

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続いて世界遺産のタンロン遺跡に。

フランスの植民地になっていたことがよくわかります。

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街の中にはレーニン公園があり、レーニン像もあります。
ベトナムが社会主義国家であったことを思い出しました^_^;

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最後は孔子廟(文廟)
約700年大学としても使われていたようです。ベトナムにも科挙があったんですね。

中国とも切り離せない文化があります。
ちなみに、現代のベトナム人はほとんど漢字を理解できないそうです。

たった三時間で急いで回ったのでもう汗びしょですが、

こうして街を回るとその地の光と影がみえます。

【観光】とはよい漢字を当てはめたなあ、と改めて感心します。

影の部分は、失礼なので、書かないようにします^_^;

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中国の人口政策

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中国も高齢化が大きな問題です。

しかし、それでも人口抑制しなければならない状況。

日本は子供を増やしたいが、 増えない状況。

同じ高齢化という問題にそれぞれの国がどう向き合っていくか?

20年後に答えが出てきます。

平成26年3月29日(土)産經新聞大阪版夕刊

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第2子出産を地域別・段階的に容認 全人代代表が提案
「人民網日本語版」2013年3月4日

 中国全国人民代表大会(全人代)の代表を務める国家人口・計画出産委員会科学技術研究所の馬旭所長は3日、「一人っ子政策」緩和時期の問題について、「中国の出生率が低水準を呈しはじめたことから、第2子出産規制の容認拡大と新たな計画出産に関する問題は早急に取り組むべき課題となっている。このため、政府は、人口状況や経済社会発展状況に基づき、調整を進めている」と語った。例えば、黒竜江、遼寧、吉林省では、第2子出産容認の試行をスタートさせる計画という。これらの地域はもともと、両親がいずれも一人っ子の場合は第2子の出産が認められていたが、今後は、両親のどちらかが一人っ子の場合でも、第2子の出産が認められるようになる。馬所長によると、対象となるのは主に農村地域で、第2子出産容認は地域別・段階的に拡大していく方針という。北京の日刊紙・京華時報が伝えた。

 馬所長は、「我が国の第2子出産容認拡大は、『分類』をキーワードとして進められる。社会各方面の状況は、各省によって大きく異なる。例えば、遼寧・黒竜江・吉林の各省と上海・広東では、経済発展状況と人口に大きな隔たりがある。また中部地域と西部地域も大きく違う。従って、地域別に分類し、それに応じて人口政策調整を経済・人口構造状況と関連づけない限り、画一的処理は絶対に不可能だ。各省を分類化し、段階的に緩和に踏み切る必要がある。一線都市、発展都市、人口の多い都市は、容認拡大のスピードが遅くなるであろう」との見方を示した。

 また、馬所長は、今年の議案となった「高齢化友好型社会の建設」の問題について、「これは一つの社会問題だ。都市化プロセスにおいて、社会公共サービスの保障体制が公平に確立されているかどうかに注目しなければならない」と語った。(編集KM)

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