日々の活動やニュースに対する考え、視察の報告などをブログにまとめています。

メイン画像
神谷宗幣 (かみやソウヘイ)

ブログの記事一覧

活動ブログ更新しました【第192弾】

ブログ |

さきの本ブログでもご報告致しましたとおり、

この度,自民党大阪府第13選挙区支部長に就任し,
出馬することがほぼ決まりました。

詳細については、昨日公式ブログでも書かせていただきました。
http://www.kamiyasohei.jp/morning.php?itemid=1917

急遽のご報告となり,大変失礼を致しますが「チーム神谷」
一丸となって邁進してまいります。
どうかご理解賜りますようお願い申し上げます。

【東大阪かみやソウヘイ事務所住所】

自由民主党 衆議院大阪府第13選挙区支部

〒577-0054
大阪府東大阪市高井田元町2丁目8-5 カワグチ永和ビル3階

下記,お願いばかりで恐縮ですが,どうかご理解ください。

(※ひとりでも多くの方に転送・拡散をお願い致します!)

===========================

■事務連絡

1.ボランティアとして、神谷事務所にぜひお越し下さい!
  はがき書き,ポスター貼り,事務所設営など
  やるべきことが山積みです。
  どうか1日でも少しの時間でも結構ですのでご協力ください。
  期間は27日からです。

⇒事前にお電話頂ければ幸いです 090-6059-8330

2.東大阪市在住のお知り合いをご紹介ください。
連絡先 090-6059-8330(神谷事務所携帯)
   s0803.2000@gmail.com
  FAX 06-6385-1239

3.ご寄付をお願いします。
落下傘での出馬となり人的資源もありません。どうかご協力ください。
http://www.kamiyasohei.jp/index.php?itemid=1344&catid=20

4.東大阪市にお住まいの方もしくは東大阪市にご友人がいらっしゃる方

  お宅や駐車場の塀などに、ポスターを貼らせてください。
  090-6059-8330もしくは,s0803.2000@gmail.com
  までご連絡ください。

  短期決戦ですので、どうか少しでも、お願いします!

■今後の予定
12月2日(日)事務所開き(東大阪事務所)
12月3日(月)18時半~公開討論会 東大阪市民会館

■連絡先
090-6059-8330(神谷事務所携帯)
s0803.2000@gmail.com(池)までお願い致します。

*******************

■ 更新内容はこちら ━━━━━━━━━━━━━━・・・

◯ 活動ブログ【 国政に挑みます。 】

→ http://www.kamiyasohei.jp/morning.php?itemid=1917

〇 イベント案内

→ http://www.kamiyasohei.jp/event.php?

******************

ご報告  国政に挑みます。

ブログ |

この度、私、神谷宗幣は「自由民主党」に入党し、

衆議院大阪第十三選挙区(東大阪)より国政に挑戦することが決定しました。

事務所が決まりました。

住所は、大阪府東大阪市高井田元町2丁目8-5 カワグチ永和ビル1階です。

27日よりスタッフが詰めます。

  24日のニュース

 応援してくださった皆様、特に5年と7ヵ月市議会議員としてお世話になった市民の皆様には大変心苦しい思いがあります。ご存知のように今吹田市議会は、市長の不祥事の問題で紛糾している最中であり、責任追及の急先鋒を務めておりました私が今このタイミングで市議を辞めることに自分自身、無責任さを感じる部分もあります。

 そんな気持ちがありながら、私が立候補を決意した経緯を以下に説明させて頂きます。

 私は21歳で世界各国を回り、自分を含めた日本の若者のメンタリティーに危機感を感じました。帰国後その思いを周囲に伝えるも伝わらず、その悔しさと未来への不安から22歳で政治家を志しました。その後、父の会社の倒産などもあり7年遠回りをしましたが、29歳で吹田市議に当選させて頂きました。

 1期目の選挙の頃の総理大臣は安倍晋三氏であり、戦後レジームからの脱却や教育改革という政策を見て、日本は変わっていくとの期待を感じたことが市議の立候補の一つのきっかけであり、また海外での気づきもあったので、私も「若い世代の意識改革や教育改革」を訴えてまいりました。
しかし、安倍総理が体調不良で降板され、教育などの国の政策は大きく変更。国政への期待も薄れました。また市議会でも当時の市長や議員で意見の合う方も少なく、何も政策が進まないことに無力感を感じていました。

 そんな時に橋下徹氏が知事に当選され「大阪の教育を変える!」と政策を掲げられるのを見て、私は「この人とならやれるかもしれない」と考え、2009年に自ら提案し知事を代表に「大阪の教育維新を市町村からはじめる会(大阪教育維新の会)」を立ち上げました。しかし、純粋に教育改革に取り組んできた会も、今の井上市長(当時の大阪府議)らのグループに横槍を入れられ、約1年で知事との関係を切られてしましました。その後、知事の人気など当てにせず、自分たちの活動を続けることに決め、吹田市でも何とか市政を一新しようと市長選の準備を進める一方、大阪の外に「本気でこの国の政治を変えよう」と考える仲間を求めて「龍馬プロジェクト」を開始しました。

 そして、約3年全国を飛び回り、多くの仲間ができ、我々の想いを受け止める国会議員の先生方ともたくさん出会わせて頂きました。実は私自身も「日本の政治家は駄目だ」という思いを持って政治の世界に入ったのですが、それは井の中の蛙で、実際はそれぞれの党に尊敬できる多くの先輩がいることを知り、我々は若い世代の議員を集め地方からうねりを起こし、考えを同じくする先輩方といずれどこかのタイミングで一緒に政治活動ができるように、国家観やビジョンを共有できるチームを作ってきたのです。

 そうするうちに地元の大阪では「大坂維新の会」なるものができ、当初は大阪府、大阪市、堺市で行政改革をやるといっていたので、発足の経緯はあまり気にせず好意的に対応していました。しかし、なぜか計画に関係のない吹田市にまで市長候補を送り込んで、なんと選挙の最中には我々の活動の誹謗までされました。その時の候補者が今の市長ですが、彼の活動や維新の会に入った動機をみれば、信頼できないのは明らかで、吹田市のためにと考えて「維新の風」に立ち向かい市長選を戦いました。

 候補者の素養などをしっかり見ず、マスコミなどの風評で動く民意に失望し、市長選後は政治家を辞めたいとすら思っていました。しかし、一緒に戦ってくれた吹田の仲間や支援者、「まだ一緒にやろう」といってくれる龍馬プロジェクトの仲間に支えられ、気持ちを持ち直し活動を続けてきました。

 市長選後の1年半は、新しい吹田市長が、ビジョンもなく、裏ではいろいろな動きをしながら、表面的な改革を訴えて市民や職員の反感をかっているのを感じ、それを改善させられない自分たちに不甲斐なさと悔しさを抱えて活動してきました。
 その分といっては語弊がありますが、龍馬プロジェクトの活動に政治のやり甲斐を求め、全国をまわり多くの方のご指導を受け、ネットワークを広げてきました。「日本にはまだまだ侍がいる。政治を諦めてはいけない。地元でも頑張ろう。」と思いを絶やさずいられたのは出会った皆さんのおかげです。

 そんな中で、自民党に入って政治をやっていこうと思ったきっかけは、今年の初めに龍馬メンバーの紹介で小泉進次郎氏に出会ったことです。仲間の強い勧めで小泉氏とお会いし話してみると、私より年下ながら、強い信念と若い世代を束ねて国を変えていこうという強い思いを持っておられました。私はこの出会いに感銘を受け、同世代のこんな人たちと一緒にやっていければ、将来は私の目指す政治ができるかもしれないと思うようになりました。
 さらに、9月の自民党総裁選では、これまで何度も親交を持たせて頂いていた安倍晋三氏が、難しいだろうと言われていた前評判を覆し、再び自民党総裁になられました。冒頭にも書きましたが、私が立候補を目指したきっかけでもある政策を訴えておられた方が自民党の総裁になられたことが、自民党入党への決断の大きな理由の一つです。今しかないと思えたのです。

 それでもまだ、超党派の龍馬プロジェクトの会長を務める私が、政党に入ることは躊躇いもありました。しかし、国政の混乱を感じ、市政でも十分に力の発揮できず、地団駄を踏んでいた私の背中を、強く押してくれたのは龍馬プロジェクトのメンバーです。彼らの多くが自由民主党の青年部に所属しており、「神谷の想いは国政で実現させろ、全国をまわってお前の思いを伝えろ。」「いつまでも若くない。できる時にやれ」「維新の会のやり方には我慢ができない。一緒に戦ってくれ。」という仲間の言葉が、時間がかかっても「いずれは吹田から」と考えていた私の気持ちを動かしました。

 今でも吹田市がこんな状況の中、問題を残して国政に行くのは申し訳なく、また無念な思いがあります。議会でも数日前まで、市長の辞任や不信任決議をせまり、他の議員と交渉しながらその前の100条委員会設置まで漕ぎつけた矢先の今回の挑戦です。しかし、吹田には私がいなくなっても新選会の3人の仲間がいます。また、これまで私を

市長に関する世論調査  「維新」直撃 吹田市長と後援企業“不適切な関係”

ブログ |

上手くまとまった記事です。

事件の流れが良くわかります。

吹田新選会が行った市長の進退についての世論調査では、

42.7% 市長は辞任して、再出馬すべきではない

39.3% 市長は辞任して、有権者に信を問うべき

7.3%  市長は辞任すべきでない

1.1%  その他

9.6%  わからない

という結果でした。 

100条委員会は真実解明のためにやるとしても、

12月議会の審議に入るためには、市長に辞職してもらう方が市のためですね。

この疑惑を抱えたまま、新しい市民病院の建設なんて審議できません。

「維新」直撃 吹田市長と後援企業“不適切な関係”

2012.11.23 18:00  産経ニュース

 「党に迷惑はかけられない。離党させていただきたい」-。10月31日夜、大阪維新の会顧問を務める吹田市の井上哲也市長(55)は、松井一郎大阪府知事に、電話でこう切り出した。市発注の随意契約をめぐり、後援企業との不適切な関係が浮上したからだ。解散総選挙が目前に迫り、政局が慌ただしさを増す中、「維新」は、結成以来初の本格的な不祥事に見舞われた格好だ。

「偽装」の始まり
 吹田市は今年2月、環境省による地球温暖化対策や地域の雇用創設のための「地域グリーンニューディール基金」からの補助金約5850万円の一部を使い、市庁舎照明のLED化▽窓ガラスへの断熱フィルム貼付▽屋上の遮熱塗布-の3事業の入札を行った。
 ところが、落札価格は予定価格を計約2100万円も下回った。予定価格を決めるための見積書はそれぞれ1社からしかとっておらず、市議会の追及や国の会計検査で問題になりかねなかった。「複数の業者から見積書をとったことにしよう」-。こうして市は入札手続きの「偽装」に手を出した。

 市は、3事業それぞれの落札業者に3社分の見積書の提出を要求した。1社には断られたものの、他の2事業で計6社の見積書を受け取り、事前に複数の見積書があったように見せかけた。金額はあらかじめ市が書き込んでいたという。

 こうしたずさんな事務手続きが明らかとなったが、問題はこれだけにとどまらなかった。
「無関係」貫いた市長だが…
 補助金の残額は、民間への補助の残金約400万円と合わせた計約2500万円。3月末までに未使用分は国に返還する決まりになっていたため、市は急遽(きゅうきょ)、市庁舎屋上への太陽光発電パネル設置工事を追加実施して補助金を使い切ろうと考えた。
 補助金の返還期限まで3週間足らず。市は当初は入札を検討していたものの、「このままでは間に合わない」と考え、特定の1社を市が指名する単独随意契約で工事を発注することを決める。だが、その企業は社長が井上市長の後援会副会長を務める後援企業で、国には「競争入札」と虚偽報告までしていた。
 
 市は「市の工事で実績があり発注を決めた。市長の後援会関係者とは把握していなかった」と釈明するが、約2250万円の単独随意契約に井上市長と業者との関係に疑惑の目が向けられた。さらに、井上市長の私設秘書の男性(47)が、3年前から同社の関連会社の取締役として報酬を得ていたことも発覚。井上市長はすぐさま秘書を解雇したが、疑惑が疑惑を呼ぶ状況に、市議からは「何かあったとしか考えられない」「本当に市長の指示はなかったのか」との指摘が相次いだ。

 こうした状況の中、井上市長は発覚直後の会見で、「入札をすべきだった。計画的に事業を進めるべきだった」と謝罪する一方、後援企業との関係については「後援会役員の会社だとはまったく知らなかった」「便宜をはかった事実は一切ない」「職員への指示も一切していない」と、一貫して「自分は無関係」との立場を貫いていた。

“尻尾切り”のはずが…
 ところが、批判は思わぬ方向から飛び出した。問題発覚直後の10月31日、日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は「大変不適切な契約。顧問からいったん身をひいてもらう」と突き放した。同日午前、橋下氏と井上市長は電話で直接話し合い、井上市長は「私が随意契約を指示したわけではありません」などと釈明したが、大阪維新の会顧問を退任することとなった。
 同日午後には維新幹事長の松井大阪府知事が「われわれと価値観は一致していないので辞めてもらう」と発言。同日夕、井上市長は松井氏に電話で自ら離党を申し出ることとなり、松井氏も了承したという。
 井上市長は、吹田市議、大阪府議を経て平成22年に大阪維新の会に加わり、23年の吹田市長選で大阪維新の会の公認候補として現職を破り当選、維新系首長として注目を集めた。市政でも「維新プロジェクト」と題して行財政改革に乗り出していた。
 改革の旗手として市民からの期待感も強かったが、就任からわずか1年あまりで「維新」の看板を降ろさざるを得ない状況に追い込まれた。顧問退任と離党の理由について井上市長は「党に迷惑はかけられなかった」と力なく繰り返すだけだった。
 ただ、井上市長の顧問退任で問題が収まったわけではない。その後、21年度から23年度にかけて市が発注した本庁舎の電気配線工事のうち8件が随意契約で、市長の後援企業が7件受注していたことや、同社社長が理事長を務める「吹田市電気設備事業協同組合」に、市が10年以上前から街路灯工事などを随意契約で発注していたことなども判明している。

前言撤回、ドタバタ劇
 次々に不適切な契約が表沙汰になる中、井上市長は12日に開かれた市議会全員協議会で一連の問題について答弁した。9時間以上にも及ぶ質疑で、当初「契約の相手が後援企業とは知らなかった」としていた説明から一転、「自分が決裁をした。企業名も随意契約だということも分かっていた」と後援企業への単独随意契約という認識があったことを認めた。
 随意契約に決まった経緯や職員への指示についてはあくまで「何も知らなかった」との姿勢を崩さなかった。しかし、要領を得ない答弁に、「本当のことをいっていない」「納得できると思いますか」などと市議会の不信感は決定的となった。
 翌13日、随意契約の決裁者の1人で事務方トップだった冨田雄二副市長が、市長に辞表を提出した。「今も(随意契約は)問題はないと思っているが、誰かが責任を取らなければ収まらなくなっている」と、自らの職と引き替えに問題の収束

妻夫木聡さんと出会った人??

ブログ |

私は残念ながら出会っていません。

出会った方いますか?(笑)

吹田の宣伝をありがとうございます。いい町です。

もしかしたらあなたも出会っていたかも… 妻夫木聡さんが大阪・吹田に“出没”

2012.11.23 17:00  産経ニュース

 俳優、妻夫木聡(つまぶき・さとし)さんの主演映画「黄金を抱いて翔べ」(井筒和幸監督)が現在、公開されている。「マークスの山」「レディ・ジョーカー」などで知られる作家、高村薫さんのデビュー作を映画化。大阪を舞台に、銀行の地下金庫から金塊の強奪を企てる男たちを描くクライム・ムービーだ。主演の妻夫木さんが大阪市内でインタビューに応じ、ロケ地の大阪や作品を語った。
(橋本奈実)
ファンに気づかれなかった2日間
 妻夫木さんが演じたのは、幼い頃、大阪府吹田市で育った設定の主人公、幸田。そこで役作りのため、撮影前に一人で吹田へ行き、2日間過ごした。現地の風を感じながら役作りをするのは、平成22年公開の映画「悪人」以降、彼がとっている方法だ。
 「吹田の街を歩きましたし、作品の鍵となる吹田の教会にも、ずっといました」。なんと吹田の街に、妻夫木さんが出没していた…。しかし帽子を目深にかぶっていたこともあり、ファンに見つかることはほとんどなかったという。
 その間、宿泊していたのは、吹田市の中心部からは少し離れた大阪市営地下鉄御堂筋線江坂駅近くのホテル。本当は吹田に泊まりたかったため、ウイークリーマンションを借りようとしたが…。
 「『当日は無理です』と言われて。ラブホテルみたいなところはありましたが、一人じゃダメだろうなと思って断念。極力、近いところを、と江坂に泊まりました」
 仕事で大阪市内にはよく行くものの、吹田は初めてだった。「大阪の都心から数駅離れただけで、印象ががらりと変わりました」。大阪には熱い街というイメージがあった妻夫木さんだが、吹田には“乾いた空気”を感じたという。
 水都と呼ばれるだけに、大阪には川が多いと思った。「でも、なぜか僕は乾いた感じがして。そこが居心地良かったんですよね。川向こうの都心を眺めていると、作品の登場人物のような思いになるのかな、と思いました」
 幸田の役柄の鍵となる場所と考えた吹田の教会で、最初は聖書を読み、趣味のカメラで写真を撮るなどして過ごしたが、しっくりこなかった。そんなとき、キリストの姿を正面から見て、ふと絵を描いてみようと思いついた。
 「持っていた手帳にペンで。そうしたら、すごく温かい気持ちになった。ここが自分の居場所だと幸田が思ったことが、腑に落ちました」。吹田滞在中の大半をこの教会で過ごし、暗くなるまでずっと絵を描き続けた。孤独を抱える悲観主義者と分析した幸田の心情を考えていたという。
初対面なのに「おう」の大阪人気質
 今作は井筒監督たっての希望で、小説の舞台である大阪ですべて撮影を行った。完成作を見た妻夫木さんは、その理由を改めて感じたという。「大阪の街で撮るから、この作品は成り立つ。街の持つ“匂い”や空気、一人ずつの温度が伝わってくるのだと思いましたね」
 大阪で撮影する必然性を、「極端な例ですよ」と前置きした上で、笑いを交えながら、こう例えた。
 「東京で撮ると、東京の人が大阪をまねた感じになると思うんですよね。日本をよく知らない外国人の方が『これがサムラーイ』っていうのと似た感じで(笑)。大阪で撮れたことは良かったと思います」
 大阪の印象は、凝縮された街。東京は渋谷、原宿、新宿と役割の違う街が点在していると感じている。「でも大阪はぎゅっとごちゃまぜ。僕の故郷、福岡も似たところがありますが、その入り交じった空気から、人の熱気を感じるのがすごく新鮮でした」
 撮影中も、ナニワの人々の熱気を感じていた。「最初はまったく人がいなくても、すぐにグワッと集まる(笑)。熱狂的な感じが今作と合っていました」
 大阪人気質も心地よかったという。一般の人々は気さくで、妻夫木さんを見ると、すぐに声をかけてきた。「『おう』と知り合いのような感じで肩を叩いてくる。僕は、いや初対面だし、と心の中でツッコミつつ、楽しく感じていました」と笑う。
 ロケ先で控え場所として部屋を貸してくれた人たちも、「協力」ではなく、「作り手の一員」という意識を持っていると感じた。「だから、僕も気を使わず一緒にいられた。そんな大阪の密な感じがすごく良かったですね」
髪はぼさぼさ、ひげを伸ばして…
 作品の設定は夏。うだるような暑さが画面に映し出されているが、実際には真冬に撮影していた。「本当に死ぬほど寒かったですよ。僕の役柄は吹田の川沿いに住む設定だったので、川から寒い空気が流れてきて。薄着にして、カイロをいっぱい貼っていました」
 最も寒かったのは、金塊強盗の舞台ともなる大阪・中之島だったという。「あそこはきつかったですね。びっくりした。でもね、不思議なもので、撮影が始まると、寒さを全く感じないんですよ」と役者魂を見せつけた。
 井筒監督との初タッグは念願だった。妻夫木さんは自分なりに幸田の役柄をイメージした姿を、撮影前に監督に見せた。髪をセットせず、ひげを伸ばした姿で会い、そのアイデアが採用された。衣装合わせには、役柄に合わせた服装で出掛けた。
 「新人時代によくやっていたこと。気に入ってもらい、今日の格好も写真に撮らせて、と。本編でも使用してくれました。今回、私服も結構あるんですよ」
 監督の演出は豪快な印象の人柄とは異なり、細かかった。「共演者はもちろん、米粒くらいにしか映らないようなエキストラさんにも、丁寧に演出をする。繊細でしっかり人を見ている方だと思いました」
 もっとも妻夫木さんは、監督からほとんど何も言われなかった。不安になって尋ねると、「幸田さん(妻夫木の役)は心配ない。好きなようにやってください」と言われた。「信頼されていると感じ、うれしかったですね。ジャパン・ノワールができたと思うので。洋画に負けない日本映画の底力、男臭さを見てほしい」
「大人な大人はつまらない」
 高い評価を得た映画「悪人」から、役への取り組み方が変わった。自分を完全に捨てて、役に近づくように。役になりきるゆえの悩みもある。「こういう役柄は体に悪い。いつも体調崩しますもん。友達減るし、私生活を犠牲にする。完成作を見たら、人相が違いますから(笑)」
 撮影中に描いた絵もそうだ。「悪人」のときに描いたものは、後日見たときに「気持ち悪くて捨て

大阪の教育は輝くのか

ブログ |

取り組んでいた教育改革も今回の国政選挙の結果でどうなるだろう。

教育の問題は政争の具にしてはいけない。

変える勇気と育てる努力

今のままではいけないけれど、制度だけを変えてもどうもならない。

人員の配置から先生方のサポート、カリキュラムの精査など、時間を総合的に取り組んでいかなければ、

以下のような現状は、短期の改革ではどうしてもかわらない。

一過性のものに終わらないことを願います。

【大阪の教育は輝くのか(1)】路上の注射器、わいせつDVD露店の脇を登校する児童…改革・西成の教育現場

2012.11.10 07:00 産経

「ほら、ありましたよ」
 10月下旬の午前7時半すぎ。ひんやりした空気が漂う大阪市西成区の小学校前で、ジャージーに長靴姿の校長が指差した先に注射器が落ちていた。「覚醒剤を打った跡ですわ。児童が拾ってくることもあるんで登校前に掃除するんですよ」
ごみ掃除と安否確認
 教員の朝は正門周辺の歩道の清掃から始まる。空き缶、吸い殻、段ボールに布団…。あらゆるゴミのほか人糞(じんぷん)が落ちていることもある。「夏は臭いがひどくてね」。校長はそう言って歩道に水をまき、犬の糞をほうきで押し流した。
 正門の斜め前にある露店には、中古のわいせつDVDが所狭しと並べられ、日雇い仕事にあぶれたのだろうか、50歳ぐらいの男性がカップ酒を片手に品定めをしている。そのすぐ脇を児童が笑顔で登校してきた。
 朝礼が始まっても登校してこない児童の自宅には、教員が出向く。保護者から事前に連絡がない場合は、安否確認も兼ねて迎えに行かなければならない。「いつでも出動できるように、こんな格好してるんですわ」。ジャージー姿の校長が笑った。
突出する生活保護
 日雇い労働者の街「あいりん地区」を抱える西成区は、大阪市の中でも生活保護受給率や65歳以上の高齢者数が突出している。市や区の統計によると、生活保護受給者の割合(今年8月現在)は、市全体の「18人に1人」に対し、西成区は「4人に1人」。高齢化率(昨年10月現在)は34・8%で、市平均(22・8%)を大きく上回る。
 「西成が変われば大阪が変わる」。西成を大阪全体の縮図ととらえる橋下徹大阪市長は、そうした信念から「西成特区構想」を掲げ、13回の有識者会議を経て10月に報告書がまとめられた。
理想と現実のはざま
 西成区を文教地区化し、子育て世帯の流入を図る-。構想では、現役世代を意識した施策を強化し、教育振興策の充実に最も力を入れている。文教地区計画はその一環で、最大の目玉となるのが、平成27年度開校予定の小中一貫校の設置。橋下市長は、私立進学校並みに教育内容を充実させた「スーパー校」を目指すと訴える。
 だが、目の前には厳しい現実がある。同区のある教員がため息交じりにつぶやく。「スーパー校なんて絵空事。西成では学校に連れてくるところから始めなあかん。市長はそんな現実を知ってるんやろうか」

 橋下市長や松井一郎大阪府知事が力を入れる大阪の教育改革。「グレートリセット」の高い理念を掲げるが、現場との間には温度差も見受けられる。両氏が掲げる目玉施策をめぐる課題を見つめる。

【大阪の教育は輝くのか(2)】子に連鎖する親の自堕落と貧困…教育に即効性「難しい」
2012.11.10 07:30

「おーい、おるか?」。
 大阪市西成区の市立小学校に勤務する男性教員は、登校してこない6年生の男子児童(12)の自宅マンションに迎えに行った。
 ドアの向こうに何度も呼びかけたが反応がない。鍵はかかっておらず、恐る恐る部屋に入ると異臭が鼻を突いた。食卓があるかどうかも分からないほどゴミが散乱。流し台には使った食器がそのまま、食べ残しとともに積まれていた。
「あんた、VIP待遇やな」
 「どこにおるんや?」
 リビングの奥の和室に、洗濯物が取り込んだままの状態で60センチぐらいの高さに積まれている。再び呼びかけると、その山がわずかに動いた。教員が洗濯物をかき分けると、パジャマ姿の男児の姿があった。夜、子供を残して遊びに出て行ったままなのだろうか、両親の姿はなかった。
 教員が出勤時、児童宅に立ち寄って連れて行くことも多い。そうしないと、不登校や、遅刻を繰り返す児童が全校の3分の1を占めるという。校長は、玄関から出てきた母親が、家の中の子供に掛けた一言に言葉を失った。「校長先生が迎えに来たで。あんた、VIP待遇やな」
文教地区に?
 橋下徹市長が掲げる「西成特区構想」で前面に打ち立てられた教育振興策。平成27年春の開校を目指す市立小中一貫校のほか、大学の誘致と大規模留学生会館の設置も柱となる。
 学生を呼び込むことで街の活性化につなげる。西成特区構想有識者座談会の座長で市特別顧問の鈴木亘(わたる)学習院大教授は「文教地区になることによる西成のイメージアップ効果は絶大で、地元の小中学校教育のモチベーションも高まる」とみている。
 小中一貫校は、萩ノ茶屋、弘治(こうじ)、今宮の3小学校と今宮中が対象。橋下市長肝いりの「スーパー校」として、市全域から入学可能とし、外国語教育や国際教育にも力を入れる計画だ。
親が受けてきた教育は…
 しかし、地域の実情をよく知る学校関係者は「そもそも学力的に無理がある。低学年から塾に行っていた他区の子と、習熟度が低い子が少なくない地元の子供を一緒にすれば、二極化して学級運営は不可能になる」と否定的だ。
 西成区のある小学校では生活保護世帯が50%を超える。学校関係者は「教育以前に家庭に問題があるケースが多い」と訴える。不正受給が疑われる家庭もあり、自堕落な生活を送る親の姿を見て育った子供は明らかに勤勉意欲が低いという。「問題の根底にあるのは、親自身が受けてきた教育だ。それが子供に鏡写しにされ、貧困が連鎖していく」。宿題すらできない家庭環境の子供も多く、担任らがほぼ毎日、面倒を見ている学校もある。
「教育に王道なし」
 橋下市長が“先駆的”と胸を張る教育改革。だが、教育現場から離れた場所で議論され、次々と方針が決まっていく流れに、現場は戸惑いを隠せない。理想と現実の埋めがたいギャップが横たわる。
 ある教員は、学力向上を目指す橋下市長の姿勢に一定の理解を示