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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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1週間の禅修行を経て

活動報告 |

先週は1週間広島の少林窟道場で禅の修行を受けてきました。

今回の修行のきっかけは、今書いている本の中で幕末の剣人山岡鉄舟を取り上げているのですが、
「禅」の知識が乏しいため山岡鉄舟の言動が理解しきれず思案していた時に、
CGSにも出演いただいた小積氏が、偶然にもご自身の禅修行の経験から私に禅修行を進めて下さったことでした。

世の中はタイミングとご縁です。
議員の時なら、1週間も平日に休んで修行などしていたら「市民の税金をもらって何をしているんだ」と怒られますから、行けなかったでしょう。

また、「禅」には興味はあったものの体験程度の経験しかなく、
今回のように仕事関連でどうしても理解したいという動機がなければ、1週間も時間は空けられなかったと思いますし、
紹介者が自分の信頼する人でなければ、話に乗ることもなかったと思うのです。

しかし、今回は7月13日にお声がけを頂いたタイミングで、11月のこの週であれば年内唯一いけます!と言ったところ
受け入れ先の老師のご予定とも合い、即日入山が決定したのでした。

禅について学びたいという関心と、
紹介者の小積氏が「日本を良くしたいと願うなら今のタイミングで何としても行くべき」と強く勧めて下さったという
その2点で、今回の修行が決まりました。

そんなことでしたから、私は受け入れてくださる老師氏の経歴も知らなければ、修行の内容も知らずに申し込み、
内容を小積氏に尋ねても「余計な知識は入れず作務衣だけ持っていけ」と言われ、素直にそれに従ったわけです。
自分の直感が行けと言ったんですね。

その結果、人生観を変えるような出会いを頂きました。

ご指導頂いた井上希道老師は、禅の悟りを開かれた数少ない指導者の方で、
道場のHPにもあるように
「坐禅修行するということは、菩提心を起こして 自我を捨て、こだわりの根元を解決するのが目的です。
そして、道を得て心の迷いを除き、安心を得て社会を浄化する為に、道を広めていくのです。」
という信念の下、指導をされていらっしゃる方でした。

最近、欧米で「マインドフルネス」というものが流行っているようですが、説明を読んでいて、
「これって日本の禅のパクリじゃないの?」と感じていました。
よってマインドフルネスと禅を同じようなものと捉えているところもあり、
両者の目指すところは、ストレス解消や集中力アップみたいなところかと私も認識が甘かったわけです。

しかし、上記の内容の先にある老師の思いは、禅により社会を変えて争いをなくし、世界平和を実現することであって、
単なる自己研鑽で来るような者は、最初から指導しないと最初におっしゃっているのです。

老師にあって初めて「日本を良くしたいと願うなら今のタイミングで何としても行くべき」という小積氏の言葉の意味を理解したのでした。

修行に入る前に老師から頂いたアドバイスは、
とにかく呼吸と一つになれ、心と体をそろえよ、ということだけ。

それだけのアドバイスをもらい、禅堂に朝の5時から夜の10時まで食事の時間以外はずっと3日間籠り続けるのです。
「3~4日こもっていれば掴めるものがある。煩悩が出てきたら切って捨てて、心を無心に保て」
その言葉を信じてまず3日間座り続けるのですが、
最初は意味が分からないし、ただ座っていても眠くなるし、いろいろな思いや思考が頭にわいてきてどうにもなりません。
苦肉の策で、自分の呼吸を心でずっと数えました。
それでも様々な記憶が頭をよぎります。
これまでの人生でこれほど自分の過去を思いだした期間はありません。
覚えていなかった小学校時代の友人との思い出や好きだった女の子のことと最初は単なる思い出です。

次にやってくるのは、怒られたこと、いじめられたこと、失恋、実家の倒産で財産や信頼を失ったこと、婚約破棄のこと、
金銭的につらかったこと、政治家になってわかった政治への失望、選挙の落選、期待を裏切ってしまった人たちの顔、将来への不安
など、本当に嫌なことばかり思いだします。

しかし、そういった負の記憶はなかったことにしようと訓練して生きてきた人生なので、何とか意識をコントロールして消していくことができました。

けれど、一番手ごわいのは今抱えている仕事のことや、将来展望です。
これは、切っても切っても切り切れません。いっその事、普段考える時間がないからこの機会にまとめて考えてやろうかとも思ったほどです。
しかし、それでは修行にならないので、頭から火が出そうなほど集中して、意識を呼吸に集中していきました。

すると3日目の午後から4日目にかけて、呼吸だけしていれば何も雑念や煩悩が沸いてこない状態を自分で作れるようになりました。
しかし、それが一体何につながるのかがわかりません。
次にどうなればいいのか、老師に尋ねても
「今はそれを座禅でやりながら、動くときは自分の動きと気持ちを一つにせよ。集中を解くな。」と言われるばかり。

それで、どうなるのか、と座禅しながら考え込んでいたら、
信じてもらえないような不思議な体験を2度ほどすることになり、
老師に報告したら、修行の過程ではしばしばあることだから、それにとらわれず、こだわらず、
ただ、最初に言ったことをやり続けよ、と。

そうして老師に言われるがままやっていると
5日目、6日目は、無心になれる時間以外は、
未来への展望や、今自分が何をしなければいけないかという物事の優先順位、
今まで思いつかなかったような発想が津波のようにやってきて、それを遮ることは正直できませんでした。

そして、最終日。
老師が説明をしてくださいました。

私が体験した修行は、
頭で考えること=知性
心が自然に思うこと=感情
意志の力で一つに合わせていくこと、
またそれにより、感覚は研ぎ澄まされ、心と体も一体となって動けるようにする訓練であったと。

文章にしてしまえば、簡単なことですが、
これはあの長時間の自分との戦いを経験しないと言葉だけではわからないものであったことが終わって初めてわかりました。
最初にこの説明を聞いても、知性と感情が違うということの意味がきっと分からなかったと思うのです。

だから紹介者も、情報を持たず、とにかく言って老師の言われるままにやりなさい。
と言って下さったのです。
これはやらねばわからない。

事実をありのままに受け入れる。今をつかむ。
いろいろな言い方がありましたが、自分でやらないとわからない。
私は、そうした「禅」の入り口を学ぶことができたのです。
悟りという状態が100とすれば、今回私が学べたことは1にも満たないのかもしれません。

老師も先輩の修行者の皆さんも、日々の実践の中で、生活の中で自分を磨き続けることしか、
自分を高めることはできないとおっしゃいました。
私もその通りだと思い、禅とは何かの入り口に立てた気がします。

また同時に多くの仲間と共に、知性と感情を一致させ、行動することができなければ、
私が目指すような政治における理想など夢のまた夢であることも痛感できました。

これが1週間の学びの概略です。

しかし、間違わないでください。
私はまだ禅の入り口しかわかっていませんから、ここに書いたことは単なる体験記です。
これを読んで「禅」に対するイメージを持ってもらうことは、私の思いではありません。
もし禅への興味を持って頂けるのであれば、みなさん自身が同じような修行を体験されないとわからないことだと思うのです。

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視点を変えて、
1週間の説法の時間、老師とやり取りしたことを少しお話しておきましょう。

・私なり禅のイメージがつかめて来たとき、私は老師に尋ねました。
山岡鉄舟だけでなく多くの侍が幼少から禅などを学び、彼らの哲学を磨いて、行いを正してきたことが体感できた。
鎌倉から伝わり、日本人を育てたこの「禅」という文化が、今日どうして日本では廃れ、「マインドフルネス」のようなものが
海外から逆輸入されるような事態になっているのでしょうか?

老師応えて曰く、
GHQの占領政策にものの見事にはまったんだよ

・憲法9条を守ろうというお坊さんもたくさんいらっしゃいますが、国防についてはどうお考えですか?

老師応えて曰く、
平和を願うと言っても一定の備えが必要だと思う。
一番効果的なのは、祝日に国民全員が日の丸を掲げ、「みんなで日本を守ろう」と国民の意思を示しておれば、
外国もそう簡単に日本にちょっかいは出せんさ。

・日本を立て直す一番の方法はなんでしょうか?

老師応えて曰く、
教育しかない。禅などを通じて人間を鍛えていくしかない。
禅は宗教ではない。日常における実践。
世の中、変な宗教が増えて、国民が宗教を胡散臭いものと捉えているが、
道徳なんて宗教的情操を養うしか伸ばすことできないし、それをやらずにどうして人格を磨くのか。
今の日本人は、お金とモノに囚われすぎ。それが大きな問題。
菩提心を持ったリーダーが日本には必要で、私はそうした人材を育てたいと思っている。

そして、私が政治の仕事をしていること告げると、
はっきりおっしゃいました。
「君は政治家には向かない。純粋すぎる。」

私も応えて
「自分でも自覚しています。私は教育者の方が向いていると思います。
しかし、教育を変えたいと思って政治の世界に飛び込みました。
いっぱい失敗もして、現状の限界もわかっています。
しかし、私の微かな希望は国民も何が大切かをそろそろ気づいてくれるのではないか。
今の日本の問題や我々の不安の元凶に皆が気づき始めて、意識が変わってくれれば私の様なものにも役割があるかもしれません」

7日間で10時間ほどはお話させていただきましたが、
こんなやり取りをたくさんたくさんさせていただき、
帰ってくる答えが、100%に近い形で私の思いに一致し、私の弱みや特性もしっかりとつかんでおられる様子をみて、
この人は凄いと感じ、素直に頭を垂れて指導を受け入れるとともに、大きな大きな勇気を頂きました。

老師はこうもおっしゃいました。
「私が自分の考えを正面からぶつけると騒動が起きる」と分かった上で、
「それでも仏法を学び、正しいと考えることは伝えねばならない」と。

私もまったく同じ思いでいます。
自分の考えを一所懸命訴えても、大衆には受け入れられず、選挙にも勝てない。
しかし、自分のためではなく、寝る間も惜しんで飛び回り、勉強をして考えた日本の抜本的な改善案は
伝えていくしかない。

受け入れられるまで待つしかない。その手段を本気で考える中での今回の老師との出会いでした。

前半に書いた「禅」について学べたことも大きな収穫でしたが、
それ以上に老師のような方がいると知れたこと、出会えたことが人生の喜びでした。

最近では池間哲郎先生に出会え、その発信が私が行きついているところとかなり一致していたことが大きな衝撃でしたし、
遡れば9年前に林英臣先生に出会えその思いに触れたことが私の原点の一つです。

同じ思いの先輩方がいる。
また、歴史を振り返れば、想像を超える偉人がいるんです。
現実は厳しい。
しかし、その中で戦ってこられた先輩方と少しでも繋がり、活動を広げていきたい。

私一人では微力すぎます。
もっと先輩方の力をお借りして、仲間を集め、後進を育てていくしかない。
理解者を増やしていくしかないと思いを固めた1週間でした。

井上老師には、私の運営するCGSで少しでもお話し頂ければと願っています。

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