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不信任動議の結末

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今日、吹田新選会の出した不信任動議は、

自由民主党
公明党
すいた市民自治
中本議員

の議会の退席で
定足数に満たないまま
流会の結末になりそうです。

iPhoneからの投稿

市長の不信任決議の動議をあげました!

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photo:01



会派控え室で皆さんと。

今日、臨時議会で会派から市長の不信任決議の動議をだしました。

議会は止まっています。

他の会派は猛反発プンプン

なぜ100条委員会をやるのに不信任決議なんだ!

ちゃんと予告がなかったじゃないか!

神谷のパフォーマンスか!

と我々が怒られています。

100条委員会は市役所全体の不正についての調査で、もちろんやるべきです。

市長の不信任は、この市長の下でこれからの開発問題など審議できない、ということでやったので、矛盾はありません。

不信任決議は多数決になるわけですから、一人でも数が多い時にやならいと、、、。

私がいなくなれば、反市長派の勢力は一気に弱まります。

市役所を去るのにそこが一番気がかりです。

今日決議がなかったら、もうなかなか不信任決議にならない気がします。

iPhoneからの投稿

活動ブログ更新しました【第192弾】

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さきの本ブログでもご報告致しましたとおり、

この度,自民党大阪府第13選挙区支部長に就任し,
出馬することがほぼ決まりました。

詳細については、昨日公式ブログでも書かせていただきました。
http://www.kamiyasohei.jp/morning.php?itemid=1917

急遽のご報告となり,大変失礼を致しますが「チーム神谷」
一丸となって邁進してまいります。
どうかご理解賜りますようお願い申し上げます。

【東大阪かみやソウヘイ事務所住所】

自由民主党 衆議院大阪府第13選挙区支部

〒577-0054
大阪府東大阪市高井田元町2丁目8-5 カワグチ永和ビル3階

下記,お願いばかりで恐縮ですが,どうかご理解ください。

(※ひとりでも多くの方に転送・拡散をお願い致します!)

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■事務連絡

1.ボランティアとして、神谷事務所にぜひお越し下さい!
  はがき書き,ポスター貼り,事務所設営など
  やるべきことが山積みです。
  どうか1日でも少しの時間でも結構ですのでご協力ください。
  期間は27日からです。

⇒事前にお電話頂ければ幸いです 090-6059-8330

2.東大阪市在住のお知り合いをご紹介ください。
連絡先 090-6059-8330(神谷事務所携帯)
   s0803.2000@gmail.com
  FAX 06-6385-1239

3.ご寄付をお願いします。
落下傘での出馬となり人的資源もありません。どうかご協力ください。
http://www.kamiyasohei.jp/index.php?itemid=1344&catid=20

4.東大阪市にお住まいの方もしくは東大阪市にご友人がいらっしゃる方

  お宅や駐車場の塀などに、ポスターを貼らせてください。
  090-6059-8330もしくは,s0803.2000@gmail.com
  までご連絡ください。

  短期決戦ですので、どうか少しでも、お願いします!

■今後の予定
12月2日(日)事務所開き(東大阪事務所)
12月3日(月)18時半~公開討論会 東大阪市民会館

■連絡先
090-6059-8330(神谷事務所携帯)
s0803.2000@gmail.com(池)までお願い致します。

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■ 更新内容はこちら ━━━━━━━━━━━━━━・・・

◯ 活動ブログ【 国政に挑みます。 】

→ http://www.kamiyasohei.jp/morning.php?itemid=1917

〇 イベント案内

→ http://www.kamiyasohei.jp/event.php?

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ご報告  国政に挑みます。

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この度、私、神谷宗幣は「自由民主党」に入党し、

衆議院大阪第十三選挙区(東大阪)より国政に挑戦することが決定しました。

事務所が決まりました。

住所は、大阪府東大阪市高井田元町2丁目8-5 カワグチ永和ビル1階です。

27日よりスタッフが詰めます。

  24日のニュース

 応援してくださった皆様、特に5年と7ヵ月市議会議員としてお世話になった市民の皆様には大変心苦しい思いがあります。ご存知のように今吹田市議会は、市長の不祥事の問題で紛糾している最中であり、責任追及の急先鋒を務めておりました私が今このタイミングで市議を辞めることに自分自身、無責任さを感じる部分もあります。

 そんな気持ちがありながら、私が立候補を決意した経緯を以下に説明させて頂きます。

 私は21歳で世界各国を回り、自分を含めた日本の若者のメンタリティーに危機感を感じました。帰国後その思いを周囲に伝えるも伝わらず、その悔しさと未来への不安から22歳で政治家を志しました。その後、父の会社の倒産などもあり7年遠回りをしましたが、29歳で吹田市議に当選させて頂きました。

 1期目の選挙の頃の総理大臣は安倍晋三氏であり、戦後レジームからの脱却や教育改革という政策を見て、日本は変わっていくとの期待を感じたことが市議の立候補の一つのきっかけであり、また海外での気づきもあったので、私も「若い世代の意識改革や教育改革」を訴えてまいりました。
しかし、安倍総理が体調不良で降板され、教育などの国の政策は大きく変更。国政への期待も薄れました。また市議会でも当時の市長や議員で意見の合う方も少なく、何も政策が進まないことに無力感を感じていました。

 そんな時に橋下徹氏が知事に当選され「大阪の教育を変える!」と政策を掲げられるのを見て、私は「この人とならやれるかもしれない」と考え、2009年に自ら提案し知事を代表に「大阪の教育維新を市町村からはじめる会(大阪教育維新の会)」を立ち上げました。しかし、純粋に教育改革に取り組んできた会も、今の井上市長(当時の大阪府議)らのグループに横槍を入れられ、約1年で知事との関係を切られてしましました。その後、知事の人気など当てにせず、自分たちの活動を続けることに決め、吹田市でも何とか市政を一新しようと市長選の準備を進める一方、大阪の外に「本気でこの国の政治を変えよう」と考える仲間を求めて「龍馬プロジェクト」を開始しました。

 そして、約3年全国を飛び回り、多くの仲間ができ、我々の想いを受け止める国会議員の先生方ともたくさん出会わせて頂きました。実は私自身も「日本の政治家は駄目だ」という思いを持って政治の世界に入ったのですが、それは井の中の蛙で、実際はそれぞれの党に尊敬できる多くの先輩がいることを知り、我々は若い世代の議員を集め地方からうねりを起こし、考えを同じくする先輩方といずれどこかのタイミングで一緒に政治活動ができるように、国家観やビジョンを共有できるチームを作ってきたのです。

 そうするうちに地元の大阪では「大坂維新の会」なるものができ、当初は大阪府、大阪市、堺市で行政改革をやるといっていたので、発足の経緯はあまり気にせず好意的に対応していました。しかし、なぜか計画に関係のない吹田市にまで市長候補を送り込んで、なんと選挙の最中には我々の活動の誹謗までされました。その時の候補者が今の市長ですが、彼の活動や維新の会に入った動機をみれば、信頼できないのは明らかで、吹田市のためにと考えて「維新の風」に立ち向かい市長選を戦いました。

 候補者の素養などをしっかり見ず、マスコミなどの風評で動く民意に失望し、市長選後は政治家を辞めたいとすら思っていました。しかし、一緒に戦ってくれた吹田の仲間や支援者、「まだ一緒にやろう」といってくれる龍馬プロジェクトの仲間に支えられ、気持ちを持ち直し活動を続けてきました。

 市長選後の1年半は、新しい吹田市長が、ビジョンもなく、裏ではいろいろな動きをしながら、表面的な改革を訴えて市民や職員の反感をかっているのを感じ、それを改善させられない自分たちに不甲斐なさと悔しさを抱えて活動してきました。
 その分といっては語弊がありますが、龍馬プロジェクトの活動に政治のやり甲斐を求め、全国をまわり多くの方のご指導を受け、ネットワークを広げてきました。「日本にはまだまだ侍がいる。政治を諦めてはいけない。地元でも頑張ろう。」と思いを絶やさずいられたのは出会った皆さんのおかげです。

 そんな中で、自民党に入って政治をやっていこうと思ったきっかけは、今年の初めに龍馬メンバーの紹介で小泉進次郎氏に出会ったことです。仲間の強い勧めで小泉氏とお会いし話してみると、私より年下ながら、強い信念と若い世代を束ねて国を変えていこうという強い思いを持っておられました。私はこの出会いに感銘を受け、同世代のこんな人たちと一緒にやっていければ、将来は私の目指す政治ができるかもしれないと思うようになりました。
 さらに、9月の自民党総裁選では、これまで何度も親交を持たせて頂いていた安倍晋三氏が、難しいだろうと言われていた前評判を覆し、再び自民党総裁になられました。冒頭にも書きましたが、私が立候補を目指したきっかけでもある政策を訴えておられた方が自民党の総裁になられたことが、自民党入党への決断の大きな理由の一つです。今しかないと思えたのです。

 それでもまだ、超党派の龍馬プロジェクトの会長を務める私が、政党に入ることは躊躇いもありました。しかし、国政の混乱を感じ、市政でも十分に力の発揮できず、地団駄を踏んでいた私の背中を、強く押してくれたのは龍馬プロジェクトのメンバーです。彼らの多くが自由民主党の青年部に所属しており、「神谷の想いは国政で実現させろ、全国をまわってお前の思いを伝えろ。」「いつまでも若くない。できる時にやれ」「維新の会のやり方には我慢ができない。一緒に戦ってくれ。」という仲間の言葉が、時間がかかっても「いずれは吹田から」と考えていた私の気持ちを動かしました。

 今でも吹田市がこんな状況の中、問題を残して国政に行くのは申し訳なく、また無念な思いがあります。議会でも数日前まで、市長の辞任や不信任決議をせまり、他の議員と交渉しながらその前の100条委員会設置まで漕ぎつけた矢先の今回の挑戦です。しかし、吹田には私がいなくなっても新選会の3人の仲間がいます。また、これまで私を

市長に関する世論調査  「維新」直撃 吹田市長と後援企業“不適切な関係”

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上手くまとまった記事です。

事件の流れが良くわかります。

吹田新選会が行った市長の進退についての世論調査では、

42.7% 市長は辞任して、再出馬すべきではない

39.3% 市長は辞任して、有権者に信を問うべき

7.3%  市長は辞任すべきでない

1.1%  その他

9.6%  わからない

という結果でした。 

100条委員会は真実解明のためにやるとしても、

12月議会の審議に入るためには、市長に辞職してもらう方が市のためですね。

この疑惑を抱えたまま、新しい市民病院の建設なんて審議できません。

「維新」直撃 吹田市長と後援企業“不適切な関係”

2012.11.23 18:00  産経ニュース

 「党に迷惑はかけられない。離党させていただきたい」-。10月31日夜、大阪維新の会顧問を務める吹田市の井上哲也市長(55)は、松井一郎大阪府知事に、電話でこう切り出した。市発注の随意契約をめぐり、後援企業との不適切な関係が浮上したからだ。解散総選挙が目前に迫り、政局が慌ただしさを増す中、「維新」は、結成以来初の本格的な不祥事に見舞われた格好だ。

「偽装」の始まり
 吹田市は今年2月、環境省による地球温暖化対策や地域の雇用創設のための「地域グリーンニューディール基金」からの補助金約5850万円の一部を使い、市庁舎照明のLED化▽窓ガラスへの断熱フィルム貼付▽屋上の遮熱塗布-の3事業の入札を行った。
 ところが、落札価格は予定価格を計約2100万円も下回った。予定価格を決めるための見積書はそれぞれ1社からしかとっておらず、市議会の追及や国の会計検査で問題になりかねなかった。「複数の業者から見積書をとったことにしよう」-。こうして市は入札手続きの「偽装」に手を出した。

 市は、3事業それぞれの落札業者に3社分の見積書の提出を要求した。1社には断られたものの、他の2事業で計6社の見積書を受け取り、事前に複数の見積書があったように見せかけた。金額はあらかじめ市が書き込んでいたという。

 こうしたずさんな事務手続きが明らかとなったが、問題はこれだけにとどまらなかった。
「無関係」貫いた市長だが…
 補助金の残額は、民間への補助の残金約400万円と合わせた計約2500万円。3月末までに未使用分は国に返還する決まりになっていたため、市は急遽(きゅうきょ)、市庁舎屋上への太陽光発電パネル設置工事を追加実施して補助金を使い切ろうと考えた。
 補助金の返還期限まで3週間足らず。市は当初は入札を検討していたものの、「このままでは間に合わない」と考え、特定の1社を市が指名する単独随意契約で工事を発注することを決める。だが、その企業は社長が井上市長の後援会副会長を務める後援企業で、国には「競争入札」と虚偽報告までしていた。
 
 市は「市の工事で実績があり発注を決めた。市長の後援会関係者とは把握していなかった」と釈明するが、約2250万円の単独随意契約に井上市長と業者との関係に疑惑の目が向けられた。さらに、井上市長の私設秘書の男性(47)が、3年前から同社の関連会社の取締役として報酬を得ていたことも発覚。井上市長はすぐさま秘書を解雇したが、疑惑が疑惑を呼ぶ状況に、市議からは「何かあったとしか考えられない」「本当に市長の指示はなかったのか」との指摘が相次いだ。

 こうした状況の中、井上市長は発覚直後の会見で、「入札をすべきだった。計画的に事業を進めるべきだった」と謝罪する一方、後援企業との関係については「後援会役員の会社だとはまったく知らなかった」「便宜をはかった事実は一切ない」「職員への指示も一切していない」と、一貫して「自分は無関係」との立場を貫いていた。

“尻尾切り”のはずが…
 ところが、批判は思わぬ方向から飛び出した。問題発覚直後の10月31日、日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は「大変不適切な契約。顧問からいったん身をひいてもらう」と突き放した。同日午前、橋下氏と井上市長は電話で直接話し合い、井上市長は「私が随意契約を指示したわけではありません」などと釈明したが、大阪維新の会顧問を退任することとなった。
 同日午後には維新幹事長の松井大阪府知事が「われわれと価値観は一致していないので辞めてもらう」と発言。同日夕、井上市長は松井氏に電話で自ら離党を申し出ることとなり、松井氏も了承したという。
 井上市長は、吹田市議、大阪府議を経て平成22年に大阪維新の会に加わり、23年の吹田市長選で大阪維新の会の公認候補として現職を破り当選、維新系首長として注目を集めた。市政でも「維新プロジェクト」と題して行財政改革に乗り出していた。
 改革の旗手として市民からの期待感も強かったが、就任からわずか1年あまりで「維新」の看板を降ろさざるを得ない状況に追い込まれた。顧問退任と離党の理由について井上市長は「党に迷惑はかけられなかった」と力なく繰り返すだけだった。
 ただ、井上市長の顧問退任で問題が収まったわけではない。その後、21年度から23年度にかけて市が発注した本庁舎の電気配線工事のうち8件が随意契約で、市長の後援企業が7件受注していたことや、同社社長が理事長を務める「吹田市電気設備事業協同組合」に、市が10年以上前から街路灯工事などを随意契約で発注していたことなども判明している。

前言撤回、ドタバタ劇
 次々に不適切な契約が表沙汰になる中、井上市長は12日に開かれた市議会全員協議会で一連の問題について答弁した。9時間以上にも及ぶ質疑で、当初「契約の相手が後援企業とは知らなかった」としていた説明から一転、「自分が決裁をした。企業名も随意契約だということも分かっていた」と後援企業への単独随意契約という認識があったことを認めた。
 随意契約に決まった経緯や職員への指示についてはあくまで「何も知らなかった」との姿勢を崩さなかった。しかし、要領を得ない答弁に、「本当のことをいっていない」「納得できると思いますか」などと市議会の不信感は決定的となった。
 翌13日、随意契約の決裁者の1人で事務方トップだった冨田雄二副市長が、市長に辞表を提出した。「今も(随意契約は)問題はないと思っているが、誰かが責任を取らなければ収まらなくなっている」と、自らの職と引き替えに問題の収束