日々の活動やニュースに対する考え、視察の報告などをブログにまとめています。

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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)

ブログの記事一覧

この命、義に捧ぐ

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一月に台湾に行った時にこの本の存在を知り、今回台湾にくる機会に合わせて携帯して読みました。

かなり調査をされて書かれた本です。

恥ずかしながら、根本博氏と蒋介石氏の関係を、私は誤解していました。

是非ご一読頂き、もっと日本と台湾の関係を考えるきっかけにして頂きたいと思います。

台湾人にも読んで頂きたいので、帰りに台北による際に友人に渡します。

それにしても日本人の偉業を私たちは知らなすぎますね。

ベトナムにも日本人が作った村があるようなので、そこを訪問してきたいと思います。

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日本の広報戦略と予算

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民主党政権時に、政府の広報予算がかなり削られています。

調査や議論だけでなく、もっと具体的かつ戦略的な発信が必要です。

例えば日本のドラマや映画を使う方法もあります。

その点は、韓国などに学ぶ点がある。

メディア、文化、企業、を組み合わせた日本のスペシャル広報を!

ODA予算をそちらに回して欲しいと思います。

靖国、慰安婦…中韓反日キャンペーンに対抗 自民が国際情報検討委員会発足へ
2014.3.27 09:04 産経新聞

 中国や韓国による第三国での反日宣伝に対抗する情報発信戦略を構築するため、自民党が「国際情報検討委員会」を27日にも発足させることが分かった。委員会では米国での中韓両国の宣伝活動を調査。米国に政府の情報戦略拠点を設置し、対抗のための情報発信を行うことを検討する方針だ。

 同委員会の設置は、中韓両国が安倍晋三首相の靖国神社参拝や慰安婦問題などを引き合いに日本の批判キャンペーンを強めていることから、誤った認識が世界に広がることを抑制し、情報発信で攻めの姿勢に転じることが狙いだ。

 自民党外交・経済連携本部(本部長・衛藤征士郎衆院議員)の下に設置。委員長は、原田義昭衆院議員が就任する方向となっている。

 同委員会では、米国内で行われている中韓両国の宣伝活動を中心に調査し、ロビー活動や議員外交、市民運動、教育機関の連携なども幅広く精査する。宣伝活動の狙いを総合的に把握することで、日本との外交案件にどのような影響を及ぼしているかを分析し、日本の情報発信戦略に生かしていく考えだ。

 さらに、中韓両国に対抗する情報発信戦略を有効的に実行するため、政府全体の情報発信を統括する新組織や在外拠点の設置も検討する。NHKの国際放送のあり方を見直すことも議論していく。

 官民の役割分担を研究し、政府組織への予算確保とともに、民間活動への資金援助も視野に入れている。

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ベトナムの国民感情と歴史

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ベトナムでは街のいたるところに戦争で戦った方の顕彰碑があります。

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日本のように公園の中ではなく、
街の真ん中にあるのです。

日本人より小柄な人たちが、よくアメリカに勝ったなと思いますし、

ベトナム人の根幹にベトナム戦争があると感じます。

また、カンボジアにいくとカンボジア人はベトナム人はグリーディーで嫌いだといいます。

ベトナムにくると、ベトナム人が韓国人はグリーディーで嫌いだといいます。

こうした感情はかつての戦争などの歴史的経緯もあり、生まれているのではないかと感じます。

せっかくベトナムにいるので、
ソンミ虐殺記念館などにもいきたいと考えていますが、、

カズヤくんは先に帰国したので、私だけですからね、そんなところにいきたがるのは^_^;

皆さん、『ソンミ 虐殺』で検索してみて下さい。

ベトナム戦争時 韓国軍駐留基地内に「慰安所」的な施設存在

2014.03.28※週刊ポスト2014年3月28日号

 韓国ではベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、ここに来て問題視され始めている。その象徴が韓国軍兵士がベトナム人女性をレイプするなどして生まれたライダイハン(ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称)だ。

 ベトナムにはこのライダイハンは数千人から3万人いるといわれている。戦争終結後にベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性との間に生まれた子もいるが、韓国兵による性被害により生まれたライダイハンも少なからず含まれているのは事実だ。

 ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏も、「クイニョンの韓国軍基地の食堂で働いていたという女性から、4、5人の韓国兵にレイプされライダイハンを身ごもったと聞いた」と語る。

 ただ、こうしたレイプがすべてではない。かの戦争時、少なからぬ韓国人にとってベトナム人女性は、“性の商売道具”でもあった。

 ベトコン掃討作戦により、農村部から命からがら逃げ出した人々のうち、多くの若い女性は売春で家族を養うほかなかった。そのブローカーや雇い主の多くが民間の韓国人だったという。

 ベトナム戦争では、戦争の特需にあやかろうと建設業者や運送業者、飲食施設経営者など、総計1万5000人もの民間人が韓国からベトナムに渡っていた。中でも外国人相手の売春斡旋業に手を染める韓国人は少なくなかった。ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏はこう語る。

「米軍や韓国軍の駐屯地に近い都市には、韓国人経営のナイトクラブ、バー、キャバレー、ホテルなどが密集していて、その多くは売買春施設でもあった。風俗産業の相当の部分が韓国人に握られていたといっても過言ではない。その種の事業に関係する日本人は私の知る限りは2人だけでしたが、韓国人は数百人単位でいた」

 一方、韓国軍が駐屯していた中部の激戦区では、基地内に「慰安所」というべき施設が存在したという。井川氏が明かす。

 「サイゴン東北の米軍ライケ基地には、有刺鉄線を張りめぐらした性的慰安施設があったが、それと同種の施設が韓国軍の主要野戦基地にもあった。外部の人間からは隔離されていたので確認できなかったが、韓国軍がベトナム人女性を慰安婦として扱っていたことは間違いない。

 当時、親日的な在ベトナム韓国軍高官に夕食会に招かれ、彼の公邸に行ったことがある。応接間には、超ミニのワンピースのお仕着せをまとった少女が数人いた。揃いも揃って美人。年齢は15~17歳ぐらいにしか見えず、少女のあどけなさを感じた。そのうち2人の少女が私をはさみ、食事を口に運んでくれるのです」

 彼女たちはただの接待要員ではない。次に高官が口走った一言で、井川氏は確信したという。

 「少女たちをどこから集めたか問うと高官は答えをはぐらかし、『気に入った子がいたら連れ帰ってもいい』というのです。彼女たちは明らかに戦争難民でした。私はもちろん断わったが、高官の態度から察するに彼女たちは友好国の上級軍人や高官をもてなす存在だったのでしょう。ベトナムで韓国人は軍民一体となり、管理売春に手を染めていたのです」

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ベトナムの学園都市

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ホーチミンの空港についてそのまま、郊外のトゥードゥック地区の学園都市を見学してきました。

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22の大学や研究機関があつまり、10万人規模の都市ができあがります。

今は部分的にオープンしていて、1万人の学生が通っています。

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学生寮だけで団地みたいになっています。

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施設はまだガラガラでしたが、
かなりの受け入れ規模があり、

敷地内には違法に市場までできていました。

国が発展する勢いを感じます。

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カンボジアの負の遺産

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1975年から始まったポルポト共産党の虐殺。人口800万のうち300万人が殺されました。

今日は全国に100箇所ほどある処刑場の一つを訪問してきました。

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一昨日訪れたプノンペン市内の刑務所に集められた人々が、このキリングフィールドに輸送され、処刑されました。

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多い時には一日300人。

共産党の処刑人は10~20代の若者が多かったようです。

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殺害方法は、薬や鍬や鎌。
銃弾は高くてかえなかったようです。

この処刑場では、約2万人が処刑されていて、中には外国人ジャーナリストや共産党の兵士もいたようです。

当時は国内の情報がもれないように口封じがあったのです。

一般の国民では、知識層中心に殺され、その負の遺産は未だにカンボジアに影を落としています。

例えば、地方に学校の先生が足りないのも無関係ではないとのこと。

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毛沢東にしても、ボルポトにしても、共産党の独裁者は、みんなが平等な共産主義といいながら、

無茶苦茶しますね。

中国などは、身内の虐殺を隠して、ありもしない日本の虐殺を声高に叫びます。

政権の正当化のためですね。

カンボジアも政権が変わったからこうした施設がつくれるんですね。

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ご冥福とカンボジアの発展を祈念しました。

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