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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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モラルハザードに突っ込んでいく

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安本氏の記事に賞賛を送りたい。

私も全く同じことを考えている。

吹田のことで恐縮だが、南千里駅(ニュータウンのど真ん中)徒歩5分の高台に最新の市営住宅が建つ予定がある。

市の一等地である。そこにいくつか分散している古い市営住宅を集約して移住してもらうということだ。移住を促すために一等地にしたとのことである。

それでも意味がわからないのだが、、、

さらに古い市営住宅に住む住人が住むところが変わるといやだから移りたくないといっているという、、。

市営住宅や府営住宅の制度も一時的なセーフティーネットである。

それがもはや既得権のようになっている。

弱者いじめだと非難されることを恐れてあまり誰も声を上げない(私はいってましたが、、)。

国は、本当に困った人は助けるが、頑張らない人や甘える人を助ける必要はない。

そのすべての財源は、政治家が出すのでも官僚が出すのでもない。

頑張って働いた方の税金か、未来の子供たちへのツケまわしである。

憲法改正も急務だと思うが、それ以上にどの政党もこのモラルハザードに突っ込んでいってほしい。

生活保護費でパチンコ…論外。条例より弱者にNOを 編集委員・安本寿久
2013.4.16 15:15 [正論・西論]

増える一方の生活保護費。大阪市では、平成24年度で2970億円にも達した

「ささやかな楽しみ」…は税金泥棒だ! 甘やかした新聞・テレビ

 阪神競馬場の室内メーンスタンドの中央部、掲示板前の「一等席」はシニア席になっている。65歳以上の人たちだけの席である。

 ゴール直前のスリルを味わうなら、ここが一番なので、私は空いている限り、この近くに席を取る。自然、高齢者たちの会話が耳に入ってくる。

 「今日も1万(円)負けた。武(豊)も神通力がなくなったな」

 「今日はあかんわ。明日や明日や」

 これは男同士の会話。なかなか粋な老カップルもおり、こんな話をしている。

 「競馬はええなあ。1万あったら1日遊べるわ」

 「そうやな。パチンコだとすぐに、のうなるしな」

 高齢者たちの1日の軍資金は1万円というのが相場のようだし、土日はいずれも競馬場通い、それ以外はパチンコへというギャンブル好きも少なくないようだ。もちろん個人差はあるだろうが、日本の高齢者はおしなべて、恵まれていると思う情景である。

 年金でギャンブルか、などとやぼなことは言うまい。年金は現役時代に納めた保険料の対価でもある。経済的に余裕がある高齢者ほど、現役時代に懸命に働いた人でもあるのだ。余生を、自分の懐の範囲内で楽しんだところで罰は当たるまい。

 が、これが生活保護費だとどうだろうか。その原資は税金である。生活保護受給者は完全な被保護者である。使い道に制約があっても当然だし、ギャンブルなどに使われてはたまったものではない。それが納税者=保護者のごく当たり前の感情である。

健全な意識、小野市の「勇気」に拍手

 この4月、兵庫県小野市が市福祉給付制度適正化条例を施行した。生活保護費や児童扶養手当をパチンコや競馬などに浪費する受給者について、情報提供を市民に求める条例である。

 同条例案の採決では、15人の市議のうち共産市議1人だけが反対した。

 「受給者からささやかな楽しみを奪い、弱者への差別を助長する」

 こうした弱者であることを強調した相変わらずの権利主張が、わずかに1党、1人にとどまったことは、日本社会の進歩と受け止めたい。解せないのは、そして問題視したいのは、この条例に十年一日のごとき批判を繰り広げるメディア、有識者が多いことである。

 〈監視社会を招く〉

 〈生活困窮者が支給申請しづらくなる〉

 こうした見出し、言葉がメディアに躍った。監視とは、不正や浪費についての情報提供を「市民の責務」としたことを指している。生活指導や使途調査をすべき市の責任を市民に負わせるもの、という批判まで出た。自分たちが納めた税金の使途に関心を持ち、不適切な使い道を知った場合には異を唱えることは、それこそ市民の権利ではないか。申請しづらいうんぬんは、不適切な使い方をしなければいいだけの話である。ことさら強調し、報じるべきことではない。

批判的なメディアの報道の中で、条例案をつくり、議決した同市には拍手を送りたい。さぞや勇気が要ったことだろうし、それだけ必要性を痛感していたのだろう。人口約5万人の同市の生活保護率は0・29%。全国平均(1・68%)を大きく下回っており、市財政から見て重大な懸案事項では、まだなかった。にもかかわらず、条例づくりに取り組んだのは「問題が大きくなる前に行動する必要がある」という問題意識の表れだった。その方針には先月22日の段階で1700件を超える意見が届き、6割が賛成だった。この数字はそのまま、メディアの紋切り型報道への批判だろう。

保険の意味を考える時代

 そもそも生活保護は、高齢や病気、ケガなどで自活できない場合を除き、仕事が見つかるまでの緊急避難のセーフティーネットのはずである。健常者なら、一刻も早く脱すべき状態という意識を持つべきものなのだ。そこで「ささやかな楽しみ」を追求するなど、言語道断の話である。

 全国の生活保護受給者は平成23年度で、過去最高の206万7244人、支給総額は3兆5016億円に上る。うち不正受給は約173億円(約3万5千件)。この数字のうちのいくらかは、弱者でいることが居心地よい、もっと言えば得をする風潮を助長したメディアに責任があるのではないか。

 ついでに指摘すると、医療や年金、介護といった社会保障全般もそもそもは、弱者を甘やかせるためのものではない。国民健康保険、国民(厚生)年金保険、公的介護保険のいう名でもわかるように、負担と給付で成り立っている保険制度である。保険とはもともと、共に助け合おうという意思を持った人たちによって運営される制度である。負担を嫌い、受益だけを願う人が入るべきではない制度なのだ。

 経済拡大期には、ある程度の怠慢やルーズさも大目に見られたが、そんな時代は遠い昔のものだ。誰もがまず、真剣に自助努力し

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