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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)

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ミャンマー独立を支援した日本人

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藤井先生のこのシリーズはよくまとまっていて勉強になります。

これからアジアの時代だというのであれば、こうした各国との繋がりはしっかり頭にいれておかねばなりません。

CGSでもこうしたこ情報は配信していきたいと思います。

ミャンマー独立を支援した日本人に勲章授与 誇るべき過去の絆

2013.09.02 夕刊フジ

バー・モウ(Ba Maw)首相

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 ミャンマーは今、最も急速に発展しているアジアの国である。かつての軍事政権は民主化を進めると同時に、鎖国から開国へ、親中から親米へと大きな方針転換を行った。ミャンマー(旧国名ビルマ)は、第2次世界大戦中に独立して日本の同盟国となり、昭和18(1943)年11月の大東亜会議(有色人種国初のサミット)にも参加している。

 独立時のリーダーは、バー・モウ(Ba Maw)首相だ。彼は英ケンブリッジ大学で弁護士資格を取り、仏ボルドー大学で博士号を得た、当時の最高のインテリだった。彼は1937年、英国の直轄植民地だったビルマの首相となるが、独立志向を強め、やがて日本と政治的に連携する道を選ぶ。

 バー・モウ首相は、後に「ビルマ建国の父」と呼ばれるアウン・サンや、大統領となるネ・ウィンら30人の独立志士をビルマから脱出させ、日本軍の指導に委ねた。彼らを教育したのは、鈴木敬司大佐率いる「南機関」と称する、大本営直属の対ビルマ秘密工作機関だった。30人は海南島で猛特訓を受け、ビルマ独立義勇軍(BIA)を編成、41年12月8日の開戦と同時に、日本軍と対英戦を開始した。

 日本軍は怒涛(どとう)の勢いで、たった5カ月でビルマ全土を制圧した。日本軍とともに進軍するBIAは行く先々で大歓迎を受けた。青年たちはBIAへ競うように志願し、軍勢はたちまち膨れ上がっていった。武器が不足し、竹やりで間に合わさなければならない程だった。

 43年8月1日、ビルマは独立を宣言した。英米両国に宣戦を布告し、日本との同盟条約を締結した。首相となったバー・モウは同年11月の大東亜会議にも出席した。大戦末期、日本の敗色が濃くなると、バー・モウは裏切らなかったが、陸相だったアウン・サンは日本を裏切り、親英の旗を掲げる。アウン・サンは内紛で暗殺されるが、ビルマは難しい英国との外交交渉を乗り越え、戦後の48年に英国から再独立する。

 毀誉褒貶の激しいアウン・サンであったが、暗殺されたことにより、国民的英雄となった。民主化運動のリーダー、アウン・サン・スーチー女史は、このアウン・サン将軍の娘である。

 81年、ビルマ政府は独立に貢献した鈴木大佐を始めとする7人の日本人に、国家最高の栄誉「アウン・サン勲章」を授与し、その功績をたたえた。今、日本企業はミャンマーに殺到しているが、こういった誇るべき過去の絆を忘れてほしくはないものである。

 フランスのドゴール大統領は「日本が英国の東洋支配の拠点シンガポールを陥落させたときに、西洋の500年に及ぶ世界覇権は終焉したのだ」と述懐している。英国の歴史家、トインビーも、日本が西洋白人優越の時代に終止符を打った事実を認めている。

 ■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に「米中新冷戦、どうする日本」(PHP研究所)、「アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門」(幻冬舎新書)。

【中韓サヨナラ…世界の親日国】
⑤マレーシア 日本模範に先進国入り目指し「ルックイースト政策」
④オランダを追い払った日本と深い関係があったインドネシア
③タイ王室がつなぐ日本との太い絆 中国の反日激化でビジネス拠点として再注目
②台湾の市民たちが評価する“日本精神” 韓国とは正反対
①世界で存在感を増すインドの日本支持 次期首相の有力候補は反中色濃く

マレーシア 日本模範に先進国入り目指し「ルックイースト政策」
2013.09.01

 マレーシアは長年、英国の植民地だったが、第2次世界大戦後に独立国となった。マレーシアもインドネシアと同様、イスラム教国であるが、穏健なイスラム教徒が多く、アルカーイダのような過激派はほとんどいない。マレーシアもまた、先の大戦における日本の活躍に刺激を受けて、戦後に独立を達成した国である。

 1981年から2003年まで国政トップを担ったマハティール首相は「ルックイースト政策」を掲げた。これは、日本を模範として先進国の仲間入りをしようという、野心的な国家ビジョンであった。

 昨年12月、ルックイースト政策の30周年がマレーシアで盛大に祝われた。マレーシア側が一生懸命なのに、日本側がクール過ぎて、片思いに終わりそうなのが残念なところだ。

 マハティール氏は、第2次大戦で日本が英国のマレーシア支配を終焉(しゅうえん)させ、マレー人に自信を与えたことを正当に評価している。植民地における白人崇拝は、現在のわれわれが想像できぬ程に絶対的なものだったが、日本人はこの白人コンプレックスを見事に一掃したのである。

 マレーシアでも、華僑・華人とマレー人の差異は大きい。

 マレー人ははるかに親日的である。マラヤ国立大学のダトゥク・ザイナル・アビディン教授は自ら著した歴史教科書で「日本のマレー占領は人々を覚醒させ、独立のキッカケを作った。日本は民族の平等を訴えた」と明確に述べている。

 ASEAN(東南アジア諸国連合)を作ったリーダーの1人で、マレーシアの外交官であるガザリー・シャフィー元外相は1988年に訪日した際、次のように述べている。

 「日本の政治家はどうしてアジアの国におわびばかりするのか。われわれはペコペコする日本人は嫌いだ。なぜ、侍らしく毅然としないのか。大東亜戦争でマレー半島を南下したときの日本軍はすごかった。『われわれにはとてもかなわない』と思っていた英軍を屈服させたのだ。あの時は『神の軍隊がやってきた』と思った。日本は敗れたが、そのおかげでマレーシアは独立したのだ。その偉業を政治家が忘れるとは、何たることだ。日本くらい、アジア

日本人の功績を

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議員になってすぐのころ、視察で台湾に行き、ダムもみてきました。

八田夫妻の話は台湾へ行く前にいろいろ調べる中で知りました。

こうした方々がいて下さったからこそ、今の日台の関係があります。

中国や韓国からバッシングを受ける中でも、こうして日本人の功績をみとめてくれる国もあります。

こうしたニュースが日本に広まりますように。

水利事業の日本人技師を支えた妻を顕彰 台湾に銅像
2013.9.1 19:47 [台湾] 産経

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八田外代樹の銅像に見入る八田夫妻の長男夫人、綾子さん。隣家に住んでいたため、生前あいさつを交わしたこともあるという=1日、台南市内で(吉村剛史撮影)

 【台南=吉村剛史】日本統治時代、台湾南部で世界有数の烏山頭(うさんとう)ダム建設を指揮した土木技師、八田(はった)與一(よいち)氏(1886~1942年)を顕彰する台南市の八田與一記念公園で1日、夫人の外代樹(とよき)さん(1901~45年)の銅像の除幕式が行われた。
 與一氏は第二次大戦中、乗船していた船が米軍の攻撃を受けて他界したが、夫人は台湾にとどまり、終戦直後の1945年9月1日、同ダム着工記念日にダム取水口で投身自殺した。

 與一氏の銅像はダムのほとりにあるが、夫妻の愛情の深さも後世に伝えようと日台の有志、団体が夫人の命日に合わせて寄贈した。

 幼い娘を抱きかかえたほぼ等身大で、彫刻家の村井良樹さん(60)が当時の写真から制作。公園内に復元された八田夫妻の官舎前に設置され、この日は日台双方の関係者が多数参列。八田夫妻の長男の夫人で、当時隣家に住んでいた綾子さん(80)は「多くの方から愛されてうれしい」と語っていた。

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八田與一像

台湾元総統・李登輝は、「台湾一番の恩人の日本人は、八田與一技師です」と語っています。
李登輝は八田與一について言います。

誰もがやりたくないきつい仕事をした。
公私のけじめをつけた。
国家と国民に忠誠であった。
謙虚であった。

八田與一は「日本精神」の持ち主でした。。

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G1U40の研修を終えて

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研修を終えて軽井沢から東京へ向かっています。

今朝も早朝からセッションでした。

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前半はダボス会議などに参加された皆さんから国際会議やリーダーについてお話があり、

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後半は堀氏、竹中氏、秋山氏から
若者へのメッセージをいただきました。

使命感を持つこと、専門性を深めること、時間は取り戻せないことなど、

あたり前のことなんですが、
実はなかなか難しいことをいろんな例や経験を交えてお話いただきました。

私はファシリテーターの小林りんさんがおっしゃった、

悲観は気分、楽観は意思

という言葉がなぜか胸に残りました。

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クロージングの皆さんの挨拶も素敵でした。

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三日間で様々な出会いと学びをいただきました。

同世代にもまだまだすごい人間がたくさんいて、自分のいたらなさがよくわかりました。

こうした場を作って下さった皆さん、
運営して下さった皆さんに感謝します。

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G1 ニューリーダーズサミット2013

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G1アンダー40のリーダーズサミット。今回が第一回の開催です。

政治、経済、スポーツ、文化といった様々な分野から百数十名のメンバーが集まり研修をしました。

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午前中は軽井沢に建設中のインターナショナルスクールをお借りし、様々なテーマで研修。

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堀義人代表の挨拶からスタートです。

一部のテーマは政治。

鈴木三重県知事の司会で、
小泉代議士、越大津市長、神保慶応大准教授が素晴らしいスタートを。

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二部は経済。

今野穣氏の司会で、
麻生厳氏、間下直晃氏、守安功氏がグローバルなお話を。

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第三部は社会と文化がテーマ。

為末大氏の司会で、
安藤美冬氏、駒崎弘樹氏、古市憲寿氏が働き方やライフスタイルを語ってくれました。

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セッションの様子はすべてグロービスのホームページから見られますので、またご覧下さい。

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午後は親睦を図るため、森の中をオリエンテーリング。

私は高島福岡市長と同じチームで、
見事優勝しました^_^

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夕方は12のテーマに別れてワークショップを開催し、社会的な提案を話し合い。

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それを各チームごとにプレゼンテーション。

私は国際的に活躍できる人材育成について、大学の入学説明会を真似て、代表でプレゼンさせていただきました。

菊川怜さんのチームは「特ダネ」を真似た面白いプレゼンを。

夜はオーバー40のG1メンバーにもお越しいただき立食。

さらに9時からは、またテーマに別れてナイトセッション。

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二時間半それぞれの思いや価値観をぶつけ合いました。

朝の8時から夜の11時半まで、休憩もほとんどなく、つまりまくったスケジュールでしたが、

参加者が誰も彼もひとかどの人ばかりで、誰と話しても面白い。

同世代ですごい人らがいるもんだと、感動しましたし、刺激をいただきました。

この学びをまた皆さん還元していきます。

明日もお昼までまた学んで帰ります。

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