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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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~「100人の龍馬」 神谷原稿~

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はじめに

 今、この国は幕末以上の危機的状況にあると、私は考えています。 外からの圧力や経済の疲弊はもちろん、人心の荒廃やモラルの低下が、社会の根底を揺るがそうとしているように感じます。 外からの圧力や経済の疲弊は時間をかければなんとか跳ね返せますが、内からの崩壊は時間と共に進行します。 この危機にどう向き合うべきでしょうか。

 平成22年、 坂本龍馬が大河ドラマで取上げられ大きなブームとなりました。国民は龍馬のように、純粋に国益を考え奔走する、 若く行動力のある政治家を待望しているように感じます。

しかし、江戸末期に坂本龍馬の周辺の人たちは、 彼を見てどう感じていたのでしょうか。恐らく「あいつは何がしたいんだ」「あんなに飛び回ってなんの意味があるんだ」 「あんなバカにはかかわるな」といった罵声を浴びせた人が多くいたに違いありません。

 それで龍馬から飛び出した言葉が、 「世の人はわれを何とも言はばいへ わがなすことは我のみぞしる」だと思うのです。 

そうした龍馬の生き様を学んだ私は、まだ若いからと自分に言い訳ができません。 自分の生活が維持できないとうすうす気付きながら、自分達の所属する共同体の危機を、 若さや経験不足や金銭的ハンディを言い訳に見て見ぬふりができないのです。気付いてしまった、知ってしまった以上、 無謀だと分かっていても行動に移すのが「義」であり「勇」であると信じるからです。

 そんな私が「龍馬プロジェクト」を始めた思いを少しお話させて下さい。  

議員になった経緯

私は二十歳の時に、カナダ・アメリカ・西ヨーロッパ・北アフリカを回りました。 その間、一頃は学校にも通い、アジア・欧米・中東の同世代の若者と交流し、彼らが各々の国や家族を守り、 発展させようという情熱と意欲を持っていることを知りました。彼らから新鮮な印象を受ける反面、 「自分を含めた日本の若者はこのままでいいのか」、 「こんなバイタリティーある若者達と競争させられたら我々の世代の日本人は負けてしまう」と危機感を持ったのです。また、 諸外国と比較し、日本がどれだけ平和で豊かで自然や歴史文化に恵まれた国かということも痛感しました。

海外を回って以来、私は自分の能力を如何に磨き、 家族や国を守り発展させることにつなげていくのかということを考えるようになりました。そして、 まずは自分が海外で感じたことを周囲の若者に伝え、同じ思いを持つ仲間を増やし、 切磋琢磨しながらそれぞれの能力を伸ばすことから始めるしかないという思いに至りました。

しかし、一学生であった私がそんな理想を語っても、誰も聞いてはくれません。 ですから段階を踏んで政治家となり、周囲に思いの伝えられるオピニオンリーダーになろうと志を立てました。そんな思いで、 23歳から弁護士を目指し勉強しましたが、ちょうどその時期に父の会社が傾き、それを助けるために勉強は中断、 25歳の時にはその会社が倒産することになり、住むところも仕事も失ってしまい、 一度は志も折れて生きていくことがしんどい時期もありました。しかし、恩師や友人に支えられ、26歳で法科大学院に進学し、再度弁護士を目指しました。大学院生活で多くのことを学びましたが、 残念なことに法曹を目指そうという友人の中にも、自分と思いを共有してくれるような人は見つからず、 また速い時の流れとともに日本がますます弱体化するように感じられ、いてもたってもいられずに、 選挙の直前に吹田の市議会議員選挙に出馬することを決意しました。

市議会議員となって

実際に市議会議員となりましたが、上記のような経緯と思いだけで選挙に通って、 一人無所属で活動する私を、周囲はなかなか相手にしてくれませんでした。また、政治の駆け引きや利益誘導システムを知ると共に、 有権者の政治へのネガティブなイメージと「無関心の壁」を肌で感じ、挫けそうになった時期もありました。

しかし、地道に行動していく中で、私と同じようなことを考え、 頑張っている仲間と出会い、「自分の思いは決して一人の思いではない」という自信が芽生え、「せっかく頂いたチャンスなのだから、 私利私欲を捨てて捨て身でやってみよう」と腹をくくることができました。

そして、平成21年1月、当時 「大阪の教育を変える!」と声高に訴えておられた橋下知事に私から提案を投げ、府下の若く思いある議員を30名ほど集めて 「大阪教育維新を市町村からはじめる会」を立ち上げました。この組織の狙いは、 教育現場を良く知る我々地方議員が現場の声を知事に届けると共に、知事の指示をダイレクトに市町村の教育委員会に伝えることで、 教育委員会や首長が政策をごまかせないようにしようというものでした。この狙いは的中し、 府下の自治体の学力テストなどへの取り組みは積極的になり、我々の議会での発言が非常に重いものとなりました。

この取り組みを通して、仲間を見つけて連携し、 行政区の枠を越えて活動することの大切さ、有意性を実感しました。

また、活動範囲が広がって見えてきたことがもう一つあります。それは、 教育の問題一つとっても、吹田の教育を良くしたいと思えば、大阪の教育システムを改善しなければならず、 大阪の教育システムを改善しようと思うと国の制度を変えなくてはならないということです。

分かりやすく言い換えれば、我々は「日本丸」という船に「吹田」 という船室を借りて乗船しており、いくら自分の船室を掃除し綺麗に飾り立てても、「日本丸」穴が開いたり、 船が氷山にぶつかったりして海に沈むような事になれば、我々の努力は水泡に帰してしまうということが分かったのです。

龍馬プロジェクト始動

「国や地域の教育を改め、若者の意識を変えたい。 国を支えるという気概を持った日本人を増やしたい。」そうした思いが私を動かしています。「それなら国会議員になればいい」 という声もありますが、一人で国会に行って700人の中で何ができるでしょうか。 一人では何もできません。ですから、坂本龍馬のように全国を周り、同じ思いで戦ってくれる仲間を集めたいと思い、始めたのが 「龍馬プロジェクト」です。

今の日本の政界には、新しい人材が必要です。それは、 右肩上がりの経済成長といいた淡い幻想を捨て、日本のおかれた厳しい現

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