日々の活動やニュースに対する考え、視察の報告などをブログにまとめています。

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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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パラオ視察【平成31年3月5~10日】

最近の動向, 視察・研修報告 |

10年ほど前には硫黄島に行かせてもらい、以来一度は行きたいと思っていたところ、

2015年に天皇陛下も訪問され、ますます行きたい場所になっていたパラオ。

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今回念願がかない訪問してきました。

訪問の目的は、

・大東亜戦争の激戦地を訪問する

・かつて日本領だった国や人々がどうなっているかを知る

・中国の影響力がどこまで広がっているかを知る

の3つでした。

以下、順に報告していきます。

大東亜戦争の激戦地 ペリリュー島

皆さんはぺリリュー島の戦いについてはご存知でしょうか。

私は小林よりのりさんの本でこの戦いのことを知り、

一度現地に行ってみたいと思っていました。

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ぺリリュー島の戦いを知らない方のために
イシキカイカク大学でお世話になっている
池田整治先生のブログを引用させて頂きます。
↓↓↓↓
サクラ・サクラ

このストーリを知っていただいた上で
私のペリリュー島訪問blogをお読みください。
↓↓↓↓
https://ameblo.jp/jinkamiya/entry-12445372026.html

かつての日本領 パラオの今

2つ目の課題については、

まずシニアシチズンセンターでお年寄りの方々のお話を聞いてきました。

このセンターは、80歳以上のお年寄りが毎日集まって、お話やゲーム、ランチを楽しむところです。

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我々のメインのインタビューに応じてくださったのは、

88歳のニナさんと81歳のフユコさんでした。
「フユコ」というと日本人のようですが、彼女は正真正銘の日本人です。

大東亜戦争で、アメリカの来襲が近づいた時に、日本人がパラオの方に子供を預けて
そのままパラオに残された子供が、何人もいらっしゃったそうです。

「フユコ」さんはまさにそのお一人。

戦後、ご兄弟が探しに来て、交流を持たれたそうですが、すでに生活基盤はパラオにあり、
また日本語や日本の習慣も十分に身についていないため、パラオで暮らすことを決められたとのことでした。

「日本で暮らしたい」という気持ちも強くお持ちだったので、せつない気持ちになりました。
お二人に聞くと戦前のパラオでは5年生まで日本語などの教育を受けていたそうです。

印象に残っているのは「ルールが厳しかったこと」だそうです。

ルールを守らないと子供でも罰がある。

だから、大人などもお酒などを飲まず、秩序を守って生活していたので、今より良かったといいます。

何より皆さんが重んじていたのは、それぞれが「責任感」をもって生きることだそうです。

「責任感」ということを教えてもらったのが一番役に立ち、
子供たちにもそれを教えてきたとおしゃっていました。

戦後のアメリカの教育では、「個人の自由」は教えてもこの「責任感」を教えない。

日本の教育がよかったと言っていただいたことに、日本人として誇りを感じました。

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また、日本人と交流があったのかと聞くと、

日本人とパラオ人に直接の交流はそれほどなかったとのこと。

一線が引かれていたと感じておられるようでした。

その点は今の日本人の方がフレンドリーだとも。

しかし、同じ日本人でも沖縄出身者や朝鮮出身者は少し差別があり、

その方々の方が現地人と交流があったと話されていました。

さらに、聞いていくと一般の兵隊は優しい人が多かったといいます。

しかし、中には厳しい隊長もいて、捕虜になったアメリカ人などを殺していたという話も聞きました。

また、やせ衰えた日本兵に食べ物をもっていったら、家族の写真を見ながら泣いていたそうです。

そして「あなた方の食べ物がなくなるから」といって食事を受け取らない人もいたと。

一方、現地の人から食料を奪う人もいないわけではなかったとおしゃってました。

ひもじさが人を悪い人にするから仕方がないというコメントもありました。
戦後やってきたアメリカ人と比べると、日本人が好きだと言ってくれます。

なぜ日本人が好きかというと、日本時代の先生がよかったそうです。

「ちゃんと自立できる教育をしてくれたのが一番よかった。
今の人はのんびりした人も多く、暗算などもできないが、当時はみんなが九九を言えて計算もできた。」

とおしゃってました。
今は大学などの教育機関も、就職先もなく若者がどんどん国を出ていく。

だから人口も減っていく傾向だそうです。

それでも食べ物はあるから、お金はなくても暮らしていける島国だとおしゃっていました。
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センターを出たあとはお二人を招いて、お食事をしました。
私はフユコさんの隣に座っていろいろお話しましたが、

戦後の生活も相応大変だったそうです。

今は物資的にも豊かになって暮らしやすいですか、と聞くと、

6人の家族で暮らしているが、楽しいことはあんまりないとおしゃってました。

結局、家族もみんな忙しくてテレビ見るのが家での時間の過ごし方だそうです。
センターなどで、友達とお話をしたり花札などのゲームをするのは楽しいとのこと。

そこは日本の現状と変わりがないのだと感じました。

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教育については、教育省のソアラブライト教育大臣と
パラオ高校の校長からお話を聞いてきました。

パラオの学校の生徒数は小学校から高校までいれても1700人しかいません。

教育は1945年に日本が敗れてからは、アメリカ式になり、教育内容もすっかりアメリカナイズされてしまい、
パラオ語は必修ではあるものの若者たちはパラオ語が話せなくなっているそうです。

また、一番の問題は国に大学がないので、優秀な学生たちは、
協定を結んでいるアメリカにほとんど行ってしまい、帰ってこなくなるそうです。

政府は対策として、帰国を条件とした奨学金や帰国者向けの住宅手配などを考えているが
どれだけ効果があるかわからないとのこと。

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パラオ高校の校長先生は、
子供たちに

・コミュニケーション能力
・思考力
・コミュニティーへの貢献の気持ち

とはぐくみたいとおしゃっていました。
1960年代から高校で日本語の教育を行っていると聞いたので、
どこくらいのレベルを目指していますか?と質問すると、

観光業で日本人と会話できるくらいの能力だそうです。
となるとそんなに高い日本語レベルではないということです。
パラオの若者もデスクワークを好むらしく、
現業の仕事はパキスタン人とフィリピン人にやらせているそうです。
校長先生は、パラオという国をパラオ人だけで運営できるようにするのが
自分の夢だとおしゃってました。

遠い夢かもしれないが一歩ずつ進んでいきたいと。

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また、同世代のパラオ人と話をさせてもらうと、
パラオが一番力を入れているのは環境政策だといいます。

商業用の漁業などは、禁止の方向で進めているそうです。
海に囲まれた国で漁業をやめるなんて、、、、

環境保護は分かりますが、少し行き過ぎているようにも感じました。
そしてパラオの主要な職業は公務員だそうです。

2万人の国なのに16の州に別れ、州ごとに議会もあるので、
政治家と公務員だらけだそうです。

なぜ16も州があるかというと、旧部族ごとに王族がいてそれが16家あるからだとか。

これからは民間企業を育てていかないといけないとのことでしたが、

農地はあっても若者が農業などを避けるので、農業はもっぱらフィリピン人やパキスタン人に
やってもらうそうで、彼らの方が良く働くとおしゃってました。

パラオの食料自給率は極端に低く、船が3日来なくなると生鮮食品はなくなってしまうそうです。

中国の影響力

パラオでは、現地でリサイクル事業をされている会社を訪問しました。

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「パラオには30年分の日本の投資が有形無形で残っていたが、

その貯金ももうすぐなくなる。

その隙間に中国が入ってきていて、お金の力でどんどんと影響力を高めてくる。

5年ほど前から一気に中国人観光客を送り込み、

パラオ人が中国人向けの施設などを作り始めると

パラオが台湾との国交があること理由に観光客を止めて、

政府にプレッシャーをかけるというようなことをやっている。

我々のような技術を持つ会社を中国人が買いにくるが、

自分たちは日本の国益を考えて利益度外視でやってきたのだから、

ここでお金に転ぶことはない。

ただ、自前の資金だけで、パラオでリサイクルと産業育成の
事業をスケールすることは難しいので、
日本の政府や自治体との連携や資金が必要だ。」

と率直な意見をお聞かせ頂きました。

70歳を越えた社長のスピリットに皆で感銘を受けました。

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SKEBONG上院議員との夕食会では以下のようなお話を聞きました。
2014年ごろ中国人が集中的に来て、パラオ人から土地をリースしたそうです。

パラオでは外国人は土地を変えないのでリースになるんですが、その期間は99年までいけるそうです。

すると中国人は、全体で破格の金額を示して、リース契約をして、前金だけ払って
姿を消してしまうそうです。

土地を失い、お金も十分にえられないパラオ人がたくさんいることを嘆いておられました。
中国人はお金は持っていてもパラオ人に敬意を払わない
かつて日本はパラオを助けてくれた。これからも力を貸して欲しい

というメッセージがありました。
また、国内問題では、

環境政策ばかりにお金をかけて教育に全然予算が割けていない。
パラオ人なのにパラオ語を話せない若者が大量にいて嘆かわしい。
また、漁業を廃止するのでまた産業がなくなってしまう。

輸入に頼りすぎて、物価が高いのに賃金は安い。
日本人が持ち込んだ「習慣」という風習が変な形で発展し、
冠婚葬祭などのお付き合いに毎月10万以上かかってしまう。

辞めていきたいが、パラオは女性中心の社会なので、
女性の顔を潰さないように、我々はお金を用意しないといけない。

といった事情もお聞きしました。

 

台湾の大使館を訪問しましたが、
こちらは時間がなくて十分に話をお聞きすることができませんでした。

中国の水面下の工作は?と聞くと

「やってるのかもしれないが把握していない」
「台湾は、教育、医療、食糧支援といった民間の支援をこれまでもこれからも
コツコツ積み上げていく」

という模範的な回答を頂きました。

今の大統領の間は台湾との関係は問題ないと思うとも。

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日本の大使館を訪問すると、

台湾の大使館とも情報交換し、連携してやっているとおしゃっていました。

日本政府も経済人をパラオに連れて来て、経済連携などを進めようとしており、

日本からの直行便も復活する見込みとお聞きしました。
遺骨収集も年5回15人程度来てもらっているとのことでした。

日本の演歌がパラオで人気だというのも驚きでした。
大使館で聞いたことなどはあまりオープンにしないほうがいいと思うので、

外で聞いた話をすると、やはりパラオの政治家も露骨な親中派がいて議会の中枢に入っているとのこと。

パラオ国民の中国に対する感情は決していいものではないと感じました。

しかし、アメリカが去って、日本の経済的な支援や交流がなくなってしまうと

2万人という数では、チャイナマネーに飲まれるしかないようにも感じました。
日本にできることは、親日国のパラオにたくさんの観光客を送り、

経済的な交流を深めることが一番だとも思いました。
パラオは地政学的に見ても日本にとって重要な国だと今回改めて感じました。

我々は今回学ばせてもらったことを広く仲間に伝え、パラオに行く日本人を増やしていくことで

協力ができると思います。

まとめ

今回のパラオ研修は想像以上に得るものが多くありました。
最終日は少し遊ぶ時間を持ったのですが、

その日、美しいパラオの島を船で回りながら、
きっと75年前にこの地にやってきた日本兵の方も
この美しい海を家族に見せたい、できれば一緒に来たいと
思ったと感じました。

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しかし、彼らは生きて日本に帰れないことを知っていた。

そう思うと涙がこぼれてきました。

切ない思いで戦ってくださった方々の存在を我々は忘れてはいけないし、その方々の分も良く生き、今の人生を楽しまねばいけないと思いました。
楽しむことも英霊の思いに応えることになると思います。

しかし、それだけではなく我々が今できることはやらねばなりません。

もう一つ、パラオで感じたのは
「ミニ日本」でした。
みんなが時間に追われていて、家族と暮らしているのに孤独を感じているお年寄り

若者がより良い収入を求めて、都会(=アメリカ)に出て行ってしまい、人材が国に残らない

残った数少ない若者たちもデスクワークに群がり、肉体労働はパキスタン人やフィリピン人に任せている現実

アメリカナイズされた教育で、パラオ人としてのアイデンティティと母語を失いつつあり、勤勉に働けない若者がたくさん生まれている現状

個人の自由が強調され、家族同士の絆を作る意味があった結婚が、個人のものとなり、離婚に歯止めがかからなくなった現状

増大するチャイナマネーに政治家が何人も買収されてしまった政治状況

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学校の先生の

「いつかはパラオをパラオ人で運営できるようになりたいという夢がある」
といったコメント
まるで他人事には思えない
パラオの今を見聞きし、
2万人しか人口のいないパラオの
これからはなかなか厳しいと感じました。
と同時に思い出したのは、
昨年訪問したブータンでの学びです。

「ブータンのような小さな国が
西洋のルールに合わせても
国民を幸せにすることはできない

ブータンは無理にグローバル化せず、
独自の価値基準で、経済的繁栄の外に
国民の幸福を目指す」

この哲学は、
私には衝撃でした。
パラオもブータンも日本から見れば、
1つの町にも満たない小さな国ですが、

国として、これからの世界の中でどう生きていくかを真剣に考えている人がちゃんといます。

日本は人口こそ多いものの
それを本気で考えている人はどれくらいいるでしょうか。

せっかくの数と力を有効に使えているでしょうか。

過去の成功にあぐらをかいていないでしょうか。

ただ、世の中の流れに任せて、経済活動をしているだけでは、考える機会が生まれないように思います。

学校やメディアも大きな問題提起はしてくれません。
そんな中で、日本の在り方や将来ビジョンを考えるきっかけは、

危機に直面するか、他と比較をすることしかないと思います。

海外に出た日本人が、日本の課題に気付くのは比較ができるからです。

今回もまたそんなことを考える機会を得ることができました。

有り難い時間でした。

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プロフィール写真

神谷宗幣 (かみや そうへい)龍馬プロジェクト全国会会長

昭和52年福井県生まれ。関西大学文学部・関西大学法科大学院卒業。
21歳の時、1年間海外で生活し、外国の若者と交流する中で「日本人に生まれたことの感謝」と「思考停止している日本の若者への問題意識」に目覚める。
2013年に株式会社グランドストラテジーを設立し、インターネットチャンネル「CGS」を開設し毎日番組を配信。大阪府吹田市を拠点に活動中で、日本人の意識改革のための海外研修及びセミナーや、「CGS」とリンクした「歴史」「主権者教育」「キャリアデザイン」「政治のしくみ」などをテーマにした講演は、若い世代を中心に多くの支持を得ている。
執筆活動も行い、主な著書として「大和魂に火をつけよう」「坂本龍馬に学ぶ仲間をつくる力」などがある。