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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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戦いたい!海外の戦場へ向かう日本人

ブログ |

先日ブログで書きましたが、

私は、「戦いたい」と思う日本人の気持ちに関心がありました。

この記事で少しわかった気がします。

これはやはり日本人の男子には、短期でもいいので、命の危険を感じるような合宿訓練でもするべきですね。

軍事訓練でなくていいですから、
生命を実感できる機会が必要なんでしょう。

そんなに刺激が欲しいなら政治家でも目指して必死にやってみたらいいと思います。

私は平時の中にも戦いを感じていますから、わざわざ戦争に行こうとは思いません。

戦いたい!海外の戦場へ向かう日本人たちの系譜元自衛官からイスラム国を目指した北大生まで
2014.10.17(金) 黒井 文太郎

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 イスラム国への参加を考えていた26歳の北海道大学生(休学中)が、警視庁公安部に私戦予備・陰謀罪容疑で任意の事情聴取を受けた事件が、大きく報じられた。

 当初、このニュースは「日本からイスラム国に、イスラム過激思想の若者を兵士として送り込むルートがあった!」という衝撃的なイメージで報じられたが、当人である北大生の動機が、就活に失敗して将来への展望を見失い、違う世界に行けば何かが変わるかもしれないと期待してのことだったこと、さらに仲介者とされた元大学教授のイスラム法学者もべつに自ら募集していたわけではなく、単に相談を受けて助言・斡旋していた程度だったことが明らかになり、事件の構図としては、国際テロ事件というような大仰な話でもないことが徐々に判明してきた。

 この北大生とともに千葉県在住の23歳のコンビニ・アルバイト店員も一時、イスラム国参加を希望していたが、彼の動機も似たようなレベルであり、いわゆるイスラム過激思想とは無縁の話だった。

 それでも、「日本人に戦争に参加したいと考えた若者がいた」ということに驚く声があるが、実はこれまでも、戦争への参加を希望し、戦場に向かった日本人は何人もいる。その動機はそれぞれだが、いつの時代でも若者の中には、いわゆる「自分探し」や探究心、冒険心、政治的信念、あるいはある種の義侠心などから、海外で義勇兵として戦いたいと行動した人はいた。

 例えば、シリアではすでに昨年、イスラム国ではない有力な反政府軍の1つである「ムハンマド軍」という部隊に、元自衛官で自営業の鵜沢佳史氏(現在26歳)が参加し、前線で戦っている。彼も「戦いたい」との強い思いで戦場に飛び込んだが、現地では独裁政権に抵抗する反政府軍に強いシンパシーを持っていたとのことである。

 また、他にも一般には知られていない日本人がイスラム国や他の民兵組織に参加している可能性はある。

 過去、こうして海外で兵士として戦った日本人には、帰国後に手記を発表したり、雑誌に登場したりした人も何人もいる。大別すると「職業軍人系」「革命系」「ゲリラ義勇兵系」がある。これまでどのような人たちが、海外の戦場で戦ってきたのかを紹介しよう。
正規軍兵士になった元自衛隊員、革命系の日本赤軍

 職業軍人系でまず有名なのは、『グリンベレーD446―米陸軍在隊21年の実戦記録』などの著作で知られる三島瑞穂氏である。ベトナム戦争で米陸軍兵士として戦った三島氏の場合は、家族でアメリカに移住しており、米国在住者としての志願だったが、その後も米陸軍の軍人として活動した。

 アメリカの軍人となった日本人は他にもいる。例えば『第82空挺師団の日本人少尉』という手記を発表された飯柴智亮氏は、9.11後のアフガニスタンで厳しい任務についている。

 他に日本人が海外で正規軍の兵士になるコースとして一般的に知られているのは、フランス外人部隊に入隊することだ。日本人がいつから参加していたのかは不明だが、少なくとも1980年代からは複数の日本人が入隊していることが確認されている。

 その後も元自衛官などを中心に多くの日本人が入隊し、厳しい海外任務に就いている。2006年に出版されたノンフィクション『外人部隊の日本兵』(宮下洋一著)は、在籍していた35人の日本人の姿を活写している。

 なお、2005年にイラクで殺害された斎藤昭彦氏は、当時はイギリスの民間軍事会社「ハートセキュリティ」社と契約していたが、もともとはフランス外人部隊に長くおられた方だ。

 他方、革命系でいえば、1971年からパレスチナ闘争に加わった日本赤軍がいる。日本赤軍はパレスチナ・ゲリラの極左組織「パレスチナ解放人民戦線ワディ・ハダド派」に加わり、主にテロ活動に従事した。彼らの動機は、世界同時革命と国際根拠地論という革命理論だった。

反共・民族闘争に身を投じた日本人

 今回の北大生の件は、仮にイスラム国への参加が実現していれば、ゲリラ義勇兵系に分類できるだろう。

 ゲリラ義勇兵系の日本人パイオニアといえば、『照準のなかのソ連兵―日本人ゲリラ、アフガンに死す』などの著書がある右翼活動家で武術家の田中光四郎氏だ。80年代半ばにアフガニスタンの反共ゲリラに合流している。

 アフガニスタンの反共ゲリラに加わった日本人は他にもいる。例えば、『戦争志願―アフガン・カレン・ボスニア最前線』『傭兵の誇り』など著書多数がある元自衛官の高部正樹氏は、他にもミャンマーやボスニアなど世界各地の戦線に参加した経験を持つが、最初の戦場はアフガンである。

 その高部氏がビルマで参加したのは、少数民族カレン人の分離独立派ゲリラ部隊「カレン民族解放軍」である。ビルマ軍(当時)の弾圧に抵抗する同組織には多くの日本人義勇兵が参加したが、そのパイオニアが『カレン民族解放軍のなかで』の著書がある西山孝純氏と高部氏だ。筆者は90年代半ばに現地で西山氏と高部氏にお会いしているが、当時も他に若い日本人が数名参加していた。

 ちなみに、高部氏らの戦友の中には、ビルマ軍との壮絶な戦いで戦死された日本人もいる。筆者の知るかぎり、ゲリラ義勇兵で戦死した日本人は、この方だけである。

 他に日本人の義勇兵の存在が確認されているのは、ボスニア、コソボ、チェチェン、ニカラグアである。

 ボスニアでは、90年代半ばに前出・高部正樹氏が、クロアチア人部隊の正規の外人部隊に参加している。また、やはり90年代半ばには、セルビア人部隊側にも日本人の兵士が参加している。

 コソボでは90年代後半に、分離独立派ゲリラ部隊「コソボ解放軍」に元自衛官K氏が合流して

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