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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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日本の立場を貶めたい韓国の政治

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日本がつくったインフラも戦後譲渡したし、日韓基本条約も結んだのに。

中国につくが得策とみれば、あとはひどいものですね。

悲しくなりますが、
先人も同じ思いをしたのかとも思います。

韓国で日本植民地時代の監獄修復計画、世界遺産登録の申請目指す=中国報道
2014-03-02 04:00 searchine

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 中国メディア・環球網は1日、韓国のソウル市政府が先月27日、日本の植民統治時代に独立運動家が収容されていた「西大門監獄」を修復し、ユネスコ世界遺産への申請を推進すると発表したことを報じた。  

 記事は、「西大門監獄」がソウル西部に位置し、1910年から45年までの日本による植民統治時代に、多くの独立運動家がここで迫害を受け殺害されたと紹介。95年には「西大門監獄歴史展示ホール」ができて内部が見学できるようになり、現在15棟の建物のうち7棟が歴史遺跡として保護されていると伝えた。

 ソウル市の関係者は、「西大門監獄」を2022年までに現状回復する計画であることを明らかにした。また、監獄のある西大門独立公園に記念設備や展示ホールの設置を計画しており、「韓国の独立に向けて戦った人を記念するとともに、後人の教育を行う」とコメントした。

 記事は、監獄をユネスコ世界遺産に申請に賛同する約50の団体が集まり、来年に申請することを推進させるべく、協会を設立したと紹介。協会とソウル市から請求を受けた韓国文化遺産管理局が最終的にユネスコに申請を行うかを決定すると伝えた。(編集担当:今関忠馬)

朝鮮に注ぎ込んだ血税「63兆円」 数々の援助で身を捧げた先人たち
2014.03.02

 韓国の「反日」は、とどまることを知らない暴走を続けている。それは韓国人が歴史を直視せず、反日妄想に現実逃避しているからである。この連載の最終回に、朝鮮を救った感動的な日本人の話を紹介しよう。

 まず、35年間の日本による朝鮮半島統治(1910~45年)とは何だったのかを、如実に示す数字を見ておこう。

 この間、朝鮮の人口は1300万人から2500万人にほぼ倍増した。コメの収穫量は1000万石から2000万石になり、平均寿命は25歳(10年)から45歳(44年)に伸びた。工業生産指数は100(13年)から550(38年)に大躍進し、公立小学校は約100校から約5000校に増え、ハングルを普及させた。鉄道はゼロから出発し、何と総延長6000キロを敷設したのだ。

 日本政府は累計約21億円を朝鮮に注ぎ込んだが、これは現在の貨幣価値で63兆円にのぼる。第3次日韓協約が締結された07年からの38年間で計算すると、1日45億円の血税を朝鮮に援助したことになるのだ。

 朝鮮の発展に身をささげた日本人も数多い。

 重松髜修(しげまつ・まさなお、1891~1975年)は農民を貧困から救うべく、私財を投じて朝鮮の農村振興を計り、「聖者」とまで呼ばれた人物である。彼はまず養鶏により卵を売り、その金を貯蓄して牛を買うという、自助努力の仕組みを農村に根付かせた。彼は三一暴動で被弾して右足が不自由になったが、終戦までの31年間、貧しい朝鮮農民の救済に無私の活動を続けた。

 朝鮮農民の救済に尽力した農学者に、津田仙(つだ・せん、1837~1908年)がいる。津田塾大学の創立者、津田梅子の父親である。農学者の高橋昇(たかはし・のぼる、1892~1946年)は、朝鮮農業の近代的実態調査を行い、農業発展の基礎を造った。石塚俊(いしづか・たかし、1888~没年不詳)は朝鮮米穀倉庫会社社長として、品種や農法の改良、潅漑(かんがい)施設の改善などを通じて、農業生産の飛躍的向上に貢献した。

 日韓併合前の朝鮮は禿山ばかりであり、総督府はひたすらに半島の緑化に努めた。

 1918~42年、日本は何と6億622万4000本の植林を行っている。この植林事業に一生をささげたのが浅川巧(あさかわ・たくみ、1891~1931年)である。彼はまた白磁などの朝鮮の美術工芸の研究者であり、日本への紹介者でもあった。

 朝鮮戦争で大量の孤児が発生したが、韓国孤児を133人も育てた偉大な日本女性がいた。望月カズ(もちづき・かず、1927~83年)がその人である。彼女自身も孤児だったが、反日機運の強い中であくまで日本女性としての生き方を貫いた。

 朝鮮に幾つもの巨大水力発電所を建設して近代工業化に大貢献したのが、日本窒素肥料社長だった野口遵(のぐち・したがう、1873~1944年)である。野口は出力70万キロワットという当時、世界第2位の水豊ダムを1940年に完成させた。北朝鮮は今でもこのダムを使っている。

 「感謝しろ」というつもりはない。ただ、韓国や北朝鮮の人々は、こうした歴史的事実を直視すべきではないのか。 =おわり

 ■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に「米中新冷戦、どうする日本」(PHP研究所)、「アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門」(幻冬舎新書)

韓国外交、何でもかんでも“反日行事化”
2014.3.3 産経

 「竹島の日」の2月22日に続き、「3・1節」(1919年に朝鮮半島で起きた日本からの独立運動の記念日)の1日、韓国では政府主催の記念行事や、ソウルの在韓日本大使館前でのデモなどがあり、“反日行事”が2週続いた。

 「次の反日活動は4月下旬の靖国神社春季例大祭と同時期のオバマ米大統領の訪韓あたりか。朴槿恵(パク・クネ)大統領は今月24、25日のオランダ・ハーグでの核安全保障サミットに出席し、その足でドイツを訪問するというし」。手帳のカレンダーを目にしつつ思った。日韓の歴史をめぐり韓国で日本非難が起き、韓国メディアの連日の反日報道に触れるたびに、一瞬構えたり緊張するよりも、最近は「ああ、またか」「やれやれ」と感じる。マヒではないと思うのだが、この皮膚感覚について考えてみた。

 韓国の朴大統領は、昨年5月に米国を訪問。以後、中

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