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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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台湾研修 三日目 バシー海峡にて

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研修三日目の午後は、高雄から二時間走り、台湾の南端の墾丁へ。

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台北ー金門島ー墾丁を結ぶと凄いトライアングルができますf^_^;

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ここへ来た目的は日本人が建立した潮音寺を参拝するためです。

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潮音寺 ウェキペディアより

1981年8月に、猫鼻頭の高台に建てられた約100坪の2階建ての白亜の仏堂で、釈迦牟尼仏が奉祀されている。前庭には、高さ約2mのブロンズ製の観音像が黒大理石の台座の上にあり、清国の時代から航海上の難所として世界各国の船舶や大東亜戦争中日本を始め、各国のこの付近の海域で撃沈された船舶や艦艇と共に海没した人々慰霊のため建立された。

なお、建立にあたっては、大東亜戦争中の1944年に、バシー海峡でアメリカ軍の潜水艦によって撃沈した輸送船「玉津丸」の数少ない生存帰還者である中嶋秀次の私財と遺族の募金によって、終戦後になされたものである。

2009年、潮音寺の土地が第三者に売り渡されたことによって、潮音寺が取り壊される可能性があると指摘されている。

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ウェキペディアの説明がわかりやすいですが、

裏事情を説明すると、

中嶋さんはお寺は建てたものの、日本人なので台湾の土地が買えませんでした。
そこで知人の台湾人名義で登記したんですが、その方が亡くなり、相続人が土地を転売してしまったわけです。

今このお寺は普段は空いておらず、手入れも十分にはされていませんでした。

今回は特別にお願いして空けて頂きました。

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せっかく思いのこもったお寺ですから、規模を縮小し、近くの公園にでも移設できないかと思いました。

このままでは、無くなってしまってもおかしくありません。

日本人だけでなく、戦争でなくなった方々多くの慰霊の施設ですから。

永遠の0ではありませんが、
戦争を知る世代がどんどん亡くなっていく今、我々の世代が引き継ぐべきことがたくさんあるのだな、と再認識。

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せっかくなので台湾の最南端のガランピ岬へ。

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ガランピ
鵝鑾鼻は第二次世界大戦時には、高雄から東南アジアの前線へ向かう輸送海路であり、バシー海峡からフィリピンやシンガポールなどへ輸送船団が頻繁に往来していた。その為アメリカ海軍の潜水艦などと戦闘になると、ほぼ撃沈されたという史実があり、第二次世界大戦の日本の敗戦の原因の根拠の一つとして論評されている。バシー海峡で多くの戦没者が発生していることと、猫鼻頭の西は台湾海峡で鵝鑾鼻の東は太平洋であり、バシー海峡は西の猫鼻頭の岬と東の鵝鑾鼻の岬のわずか約10kmの範囲でしか台湾側と接しておらず、フィリピンが鵝鑾鼻寄りであることなどから戦没者遺族が度々訪れる地でもある。

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そんな場所ですが、今は中国人観光客で溢れているのが実情。
凄い数でした。

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ガイドさん曰く、
台湾と中国はもはや切り離しようがない、
台湾も産業の空洞化が起こり、中国人の外貨がなければ、経済がまわらない、
観光地の現場がそれを表しています。

日本も他人事ではありません。
既に台湾状態になっている地方も。

戦略を立て、内需を回し、人口減少を食い止め、若者に仕事と希望を与えないと、
自分のことだけ考えていると気がつけば抗えない状態に、、、

明日はわが身だ。

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