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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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尖閣諸島問題、中国側の主張を改めてチェックする

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予備自衛官の訓練の合間に情報整理。

皆さんもご確認下さい。

尖閣諸島問題、中国側の主張を改めてチェックする(1)

2013/03/04(月) 17:34 サーチナ

  尖閣諸島の問題で、日中が1歩も主張を譲らない状態が続いている。中国が公船を日本側の領海に侵入させる事例も相次いでいる。さらに、中国海軍の軍艦が、日本の海上自衛隊の護衛艦やヘリコプターに、射撃管制レーダーを照射したとされる事件も発生した。
  日中の主張は平行線をたどっているが、日本人としてこのあたりで、中国側の主張を改めて知っておく必要があるのではないか。もちろん、同調すべきというのではない。自国政府の主張を正しいと信じるなら逆に、相手側の「言い分」に耳を傾けた上で「それは違う」と言えねばならないからだ。

  以下の部分で、中国国営の新華社のニュースサイト「新華網」が、同問題についての資料として公開している文章の日本語訳を紹介しよう。同文書はかなり早い時期から公開されていたが、事態の推移に伴い2012年以降も内容が付け加えられている。
  見やすさを考えて、段落分けは当編集部が調整した。各部分ごとに、補足説明や必要と思われる日本の外務省との主張の違いや、中国側の主張を読んで感じられる「自然な疑問」を【注】として付記した。

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(新華社掲載文の日本語訳)
●釣魚島の問題
  釣魚島(尖閣諸島の中国側名称)とその付属の島嶼(とうしょ)は、わが国の台湾省基隆市の北東約92海里の東シナ海の海域にある。主に釣魚島と黄尾嶼、赤尾嶼、南小島、北小島、およびいくつかの岩礁で構成されている。
  釣魚島その付属の島嶼は古くから中国の神聖な領土だった。歴史上の依拠も、法律上の根拠もある。釣魚島などの島は中国人が最も早く発見し、命名し、利用してきた。中国の漁民は歴史上、これらの島とその付近の海域で生産活動に従事してきた。
  早くは明代に、釣魚島などの島はすでに、中国の海防管轄範囲に含まれており、中国台湾に付属する島嶼であった。釣魚島はそもそも、「無主地」ではかなった。中国が釣魚島などの島の争う余地のない主人であった。

【注】
  釣魚島など、同諸島に関する地名は基本的に、中国側原文のものをそのまま使った。「東シナ海」など一部の地名は、日本側の呼称を使った。

  明代や清代の古い時代についての中国側主張に対して、日本の外務省は「中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません」、「国際法上、島を発見したり、地理的な近接性があることのみでは、領有権の主張を裏付けることにはなりません」との見解を示している。中国が挙げる具体的な文献についても、尖閣諸島に該当する島の名称はあるが、「明や清に属することを示す記述は全くありません」と指摘している。

  外務省は、中国側が「明代に釣魚島が中国の海防管轄範囲に含まれていた」と主張する根拠としている『籌海図編』(1561年)についても、同書では同諸島が明の海上防衛の範囲に入っていたかどうかは明らかではなく、「地図に記載があることをもって尖閣諸島が当時一般に中国領として見なされていたことを示すことにはなりません」と反論している。

  なお、『籌海図編』は、明朝が当時手を焼いていた倭寇対策のために制作された資料だ。そのため、倭寇の拠点や航海上の目標となると考えられた島については、かなり詳しい記述がある。倭寇の根拠地である五島列島も大きく扱われている。

  『籌海図編』には、福建省の沿岸については詳しい記述があるにもかかわらず、台湾については触れられていない。同資料を「当時の中国の国防を示すものであり、したがって中国領を示すもの」と解釈するならば、論理的には「少なくとも当時、台湾は中国領と認識していなかった」ことの証明になってしまう。つまり、中国でよく言われる「台湾は“古来から”中国固有の領土」という主張が成立しなくなる。(続く)(編集担当:如月隼人)

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尖閣諸島問題、中国側の主張を改めてチェックする(2)
2013/03/05(火) 11:26

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(新華社掲載文の日本語訳)
  1895年、日本は甲午戦争の末期に、清政府の敗北が決定的になった情勢を狙って、釣魚島とその付属の島嶼を違法に盗み取った。その後、日本政府は清政府に対して不平等条約である「馬関条約(下関条約)」を強要し、「台湾全島と、それに付属する各島嶼」を割譲させた。

【注】
  日本政府が、尖閣諸島を日本の領土に編入すると閣議決定したのは1895年1月14日だった。日本政府の同島に関する調査は、日本の民間人の要望を受けた形で、1885年に始まった。

  日本政府関係者内には、尖閣諸島の日本領編入について清国を刺激することを懸念する意見もあったが、政府として「清国の支配が及んでいる痕跡がないと慎重に確認」できたとして編入を決めた。清国は当時、尖閣諸島についての調査を含め、支配を示す行動をとっていなかった。

  日本領編入の閣議決定は官報に掲載されなかった。日本にもこの点を問題視する人はいるが、外務省は「当時における他の一般の閣議決定についても同様だった」、「国際法上、先占の意思につき他国に通報する義務があるわけではありません」と説明している。

  さらに閣議決定・領土編入以来、「民間人の土地借用願いに対する許可の発出や国及び沖縄県による実地調査等、尖閣諸島に対して公然と主権の行使」を行うなど、日本は対外的にも領有の意志を明らかにしていたが、中国は何の反応も示さず、逆に中華民国長崎領事が、尖閣諸島を日本領と認める内容を含む文書を発行している(後述)。

  日清戦争を終結させるために下関で日本と清国の李鴻章全権大臣らの交渉が始まったのは同年3月20日。交渉締結は4月10日で、発効は5月だった。

  尖閣諸島の「日本領土編入」が日清戦争中であり、清国が敗北を認めた下関条約の3カ月前だったため、中国は2011-12年ごろから、尖閣諸島についての「日清戦争で奪い取られた。日本は本来の主権国である中国に返還せねばならない」との主張を強めた。

  ただし、下関条約の対象に尖閣諸島は含まれていなかった。中国は領有権を主張するようになってから、「尖閣諸島は台湾に付属する島嶼(とうしょ)。したがって、下関条約の結果、日本に割譲を強要されることになった」と強調するようになったが、下関条約の条文を読むと尖閣諸島を台湾に
付属すると解釈することには無理があることが分かる。

  同条約では、清国が日本に割譲する島のうち、「台湾全島およびその付属諸島嶼」は第二条二で、澎湖諸島は第二条三で扱い、台湾本島と澎湖諸島を完全に区別して扱っている。

  澎湖諸島は台湾本島から約50キロメートル、尖閣諸島は台湾本島から約190キロメートルの位置にある。「台湾本島に近い澎湖諸島を台湾とは別に扱い、はるかに離れた尖閣諸島を『台湾に付属する島嶼』とする解釈は、通常の論理では無理がある。

  新華社は下関条約を「不平等条約」と批判しているが、日本に限らず当時の世界の常識で、戦争の勝敗が確定してからの講和条約が「平等条約」であることは、考えられない。つまり新華社は「言わずもがな」のことを書いているわけであり、背後には「戦前の日本軍国主義」についてのマイナスイメージを国内外に強調しようとの意図があると考えられる。

  中華民国8年(1919年)には、福建省の漁民が遭難し、尖閣諸島に漂着する事故が発生した。中華民国長崎領事は翌1920年、日本人が漁民を救助したことに対する感謝状を発行したが、同感謝状で中国人漁民が漂着した場所を「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と記述している。

  外交上、領事名義で発行した文書に自国領と他国領、しかも相手国側の実効支配に異議がある土地の所属を間違って記載するのは“絶対にありえない”ことだ。仮に「単純ミス」としても、外交官が正式に発行した文書である以上、責任の所在は「ミスをした国の側」となり、相手国(日本)は該当する土地について、文書を発行した側(中国)が「自国領と認識していないことを確認できた」との前提で行動を続けることになる。(続く)(編集担当:如月隼人)

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尖閣諸島問題、中国側の主張を改めてチェックする(3)
2013/03/06(水) 11:14

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(新華社掲載文の日本語訳)
  第二次世界大戦終結後、「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」にもとづき、中国は日本が占領していた台湾や澎湖列島などの領土を取り戻した。釣魚島とその付属の島嶼は国際法上、すでに中国に復帰した。歴史をくつがえすことはできない。
  1951年、日本は米国などの国と一方的な「サンフランシスコ条約」を締結し、琉球群島(現在の沖縄)の管理を米国にゆだねた。1953年、米国の琉球民政府は勝手に管轄範囲を拡大し、中国の領土である釣魚島とそれに付属する島嶼を、管轄範囲の中に組み込んだ。

【注】
  日本の外務省は「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」について「これらの宣言上、尖閣諸島がカイロ宣言にいう「台湾の附属島嶼」に含まれると中華民国を含む連合国側が認識していたとの事実を示す証拠はありません」と反論している。

  また、戦争の結果としての領土の処理は、「最終的には平和条約を始めとする国際約束に基づいて行われます」との国際慣例を紹介。第二次世界大戦後の「日本の領土を法的に確定したのはサンフランシスコ平和条約であり、カイロ宣言やポツダム宣言は日本の領土処理について、最終的な法的効果を持ち得るものではありません」との法律論で、中国側の主張を退けた。

  外務省はさらに、「サンフランシスコ平和条約締結に際し,尖閣諸島は日本の領土として残されましたが、主要連合国である米、英、仏、中国(中華民国及び中華人民共和国)のいずれも異議を唱えていません」と指摘。

  サンフランシスコ条約締結時、英国は中華人民共和国を承認しており、米国は中華民国を中国政府としているなどで「中国代表問題」が発生した結果、中華人民共和国、中華民国ともサンフランシスコ条約には加わっていない。日本と中華民国は日華平和条約を結んだが、中華民国は尖閣諸島の問題について異議を唱えなかった。

  中華人民共和国の周恩来首相はサンフランシスコ条約について、戦争中の1942年1月1日に連合国が発表した共同宣言で、「連合国は単独講和してはならないと」との内容が盛り込まれていることを根拠として、サンフランシスコ条約を「一方的な講和」として、批判する声明を発表した。

  同声明で周首相は、沖縄や小笠原などが米国の統治下に置かれることになったことを厳しく批判。カイロ宣言などで、日本の領土の扱いについては「台湾と澎湖列島、千島群島、庫頁島(サハリン、樺太)南部とその付近の島に対する一切の権利を放棄させることだけ」が決められていたと指摘し、米国が日本の領土の一部を統治下に置いたことを許しがたい勢力拡大の企てと非難した。

  仮に中国が尖閣諸島を「台湾の一部であり、すなわち中国領である」と認識していたならば、米国が尖閣諸島を統治下に置いたことについて、「同じ連合国の一員である中国の領土までを奪い取った」との言明がありそうなものだが、実際には尖閣諸島の問題に触れることはなかった。(続く)(編集担当:如月隼人)

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尖閣諸島問題、中国側の主張を改めてチェックする(4)
2013/03/07(木) 10:23
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(新華社掲載文の日本語訳)
  1971年、日米両国は「沖縄返還協定」のなかで、またも勝手に尖閣諸島を「返還地域」の中に入れた。中国政府は日米の、この種のひそかな領土の受け渡しの方法に最初から一貫して反対しており、承認していない。
  日本政府による「釣魚島は日本固有の領土であり、日中間に解決を必要とする領土紛争は存在しない」との言い方は、完全に歴史を覆い隠すものであり、根拠のないものである。
  1972年の中日国交正常化と1978年の平和友好条約締結の交渉時、両国の先輩指導者は大局に着眼して、「釣魚島の問題をいったん据え置こう。今後の解決を待とう」という、重要な了解と共通認識を得た。

【注】
  新華社の主張からは、尖閣諸島についての、長期間にわたる中国の「主張の空白期」の説明が、完全に欠落している。

  1895年の日本政府による「無主地であるので領土に編入」の決定がただちに発表されることはなかったとしても、その後の「民間人の土地借用願いに対する許可の発出や国及び沖縄県による実地調査」など、日本が公然と実効支配をおこなっても、なんの抗議もなかった。「紙切れ1枚」でもすむはずの抗議をしなかった。

  中国は第二次世界大戦の戦勝国だ。尖閣諸島が「過去の戦争により、日本にもぎとられた自国領」と認識するならば、日本の敗戦は“自国領土”を取り戻す最大のチャンスだったはずだ。
中国はやはり、同問題について沈黙を続けた。

  また、戦後に成立した中華人民共和国は1970年代まで米国と厳しく対立していた。中国は朝鮮戦争、ベトナム戦争、米国の台湾支援、イスラエル支援など、外交問題について米国の言動をことごとく非難していた。米国は1972年まで沖縄の一部として尖閣諸島を統治していた。仮に中国が「米国は終戦時のどさくさにまぎれて、釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)を奪い取った」と認識していたなら、同問題を「厳しく非難」して当然だ。しかし中国が「米帝がわが領土である釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)を違法にも支配」といった声明を出すことは、ついになかった。

  それどころか、1953年1月8日付の中国共産党機関紙、人民日報は「尖閣諸島を琉球諸島に含める記事を掲載」、さらに国営・地図出版社の「世界地図集」(1958年出版(1960年第二次印刷)でも、尖閣諸島を日本側名称を用いて日本領に含めていた。

  中華民国(台湾)は1971年6月に、中国は同年12月に尖閣諸島に対する領有権を、初めて主張した。

  中国は尖閣諸島の領有権について、日中国交正常化時(1972年)や平和条約締結時(78年)には、「棚上げとなった」と主張している。日本側の記録になると、日中国交正常化のために訪中した田中角栄首相の方から周恩来首相に「尖閣諸島についてどう思うか」と尋ねたところ、周首相は「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから,これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」と回答した。

  1978年の日中平和友好条約締結の交渉に際して、トウ小平副首相(当時)は「今回のような会談の席上に持ち出さなくてもよい問題である。園田外務大臣にも北京で述べたが,われわれの世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが,次の世代は、われわれよりももっと知恵があり、この問題を解決できるだろう」と発言した。日本側の福田赳夫首相は、応答しなかった。

  つまり、日本政府側が中国に対して「棚上げ論」を容認する言質を与えたとは認められない。(編集担当:如月隼人)

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尖閣諸島問題、中国側の主張を改めてチェックする(5)
2013/03/08(金) 13:44
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(新華社掲載文の日本語訳)
  ちかごろになり、日本政府は釣魚島の問題について絶え間なく挑発を始めた。特に2012年以来、右翼勢力がたてた「島購入」との波風を容認し、2012年9月11日に、日本政府は中国側の度重なる厳重な抗議にもかかわらず、「釣魚島および付属する島嶼のうち南小島と北小島を購入する」と宣言、いわゆる「国有化」を実行した。
  中国政府と人民は、これに対して断固として反対し、強烈な抗議を行った。中国政府は釣魚島とその付属の島嶼について領海基準線を作成し、国連事務総長に釣魚島とその付属の島嶼の領海基点と基準線の座標と海図を提出した。
  9月15日、わが国は釣魚島とその付属の島嶼の地理座標を発表した。9月25日、中華人民共和国国務院新聞弁公室は白書「釣魚島は中国の固有の領土である」を発表し、釣魚島とその付属の島嶼は中国領土の不可分の一部分でり、歴史はもちろん、地理、さらに法理の角度から見ても、釣魚島は中国固有の領土であり、中国は釣魚島に対して争う余地のない主権を有していると指摘した。

【注】
 日本で尖閣諸島の問題に対する注目が急に高まったのは、2010年9月に尖閣諸島付近の日本の領海で発生した「漁船衝突事件」だった。海上保安庁の巡視船が退去を求めたが、中国漁船は無視して違法操業を続行。さらに逃走時に、自船を巡視船に衝突させ2隻を破損させた。同漁船の船長は逮捕された。

  中国側は、日中間の各種催しの中止、レアアースの事実上の輸出禁止、「許可なく軍事管理区を撮影した」として、中国国にいた日本人ビジネスマン4人の身柄を拘束した。中国側が直接「報復措置」と説明したわけではないが、同時期にニューヨークを訪れていた温家宝首相は「われわれは(日本に対し)必要な強制的措置を取らざるをえない」と述べ、日本に対して“強制措置”を実行していることを認めた。

  上記の新華社の文章にかぎらず、中国側はつねに、尖閣諸島の問題が深刻な事態になったのは、「(当時の石原慎太郎都知事が提唱した東京都による)尖閣諸島の購入や国有化などで、日本側が挑発したことが原因」と主張しつづけている。2010年の漁船衝突事件や、その後の一連の“強制措置”に触れることは、ほとんどない。

  逆に日本国民の多くは、「漁船衝突事件」やその後の中国国内における日本人拘束などで大きな衝撃を受けることになった。石原都知事が提唱した東京都による購入に多くの人が賛同の意を示したのは、「これまでのように棚上げにしていたのでは、中国側がどのような挙動に出るか分からない」と懸念する見方が強まったからにほかならない。

  石原都知事は尖閣諸島に港湾施設などを設ける考えを示した。日本政府(野田内閣)は、中国政府の反発を懸念し「平穏かつ安定的な維持管理をするため」として、国有化に踏み切った。中国側は日本政府の意図を認めず、「右翼政客(石原前都知事らを指す)による動きを容認し、国有化に踏み切った。日本側の挑発により、棚上げ論は土台を失った」などと主張している。
  1972年の日中国交回復時、78年の日中平和友好条約締結時には、それぞれ日本側と交渉した周恩来首相、トウ小平副首相が、尖閣諸島の問題について「棚上げ論」に類する言葉を語った。日本側は肯定していない。つまり、「尖閣諸島は日本領である」という主張は「当然の大前提」としながら、中国側に「棚上げ論」があることは承知、あるいは黙認して問題にしないという姿勢を貫いた。
  その後も日本は、自国内の政治勢力や政治家の尖閣諸島上陸などは、できるだけ認めない方針をつづけた。中国側をできるだけ刺激しない政治的判断と考えてよい。しかし、中国や台湾では尖閣諸島が“自国領”であり、取り戻すべきだとする団体が活動を活発化していった。また、中国の公船が尖閣諸島近海の領海に侵入する事態も目立つようになった。
  なお、日本政府が2012年9月11日に購入したのは魚釣島、北小島、南小島の3島。大正島はそれ以前から国有地だった。久場島は現在も個人の所有となっている。

  久場島と大正島は現在も在沖米海軍艦隊活動司令部が管理する射爆場(演習場)だ。実際には1979年以降は使用されていないが、「尖閣諸島はすべて自

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