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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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教育改革は、、、

ブログ |

私の考える教育改革の目玉は、学力向上ではなく、

いかに心と体の強い日本人を育成するかということ。

福沢諭吉先生がといたように自立した国民を如何に育成するか。

この視点のない教育改革は偽者だと思っています。

欧米に立ち向かう気概のあった先人はいかにして育てられたのか?

すべてが軍国主義の一言で排除されるものなのか?

今一度皆さんと考えたいと思います。

17日は、14時から高槻市で教育勅語に関する勉強会があり、

龍馬Pのメンバーと参加してきます。

ご関心のある方は神谷までお問い合わせ下さい!!

$神谷宗幣オフィシャルブログ「変えよう!若者の意識~熱カッコイイ仲間よ集え~」Powered by Ameba

教育勅語(4)戦後、通牒で「理念」から除外
2012.3.3 08:04 産経新聞

今も教育勅語を教育理念の柱と考え、大切にしている国民は多い (拙宅に掲げている教育勅語)

 戦後教育改革の最大の焦点は教育勅語問題だった。近代日本の教育理念の中核だった教育勅語への対応が、戦後の教育理念の構築のために不可欠の課題だったからである。

 しかし、教育勅語への対応は錯綜(さくそう)した。一時は新教育勅語の作成も模索されたが、教育勅語に対する方針が確定したのは、昭和21年10月の文部次官通牒(つうちょう)「勅語及詔書等の取扱について」でだった。

 通牒の骨子は、(1)教育勅語をもってわが国唯一の淵源(えんげん)となる従来の考え方を排除すること(2)式日等の奉読を禁止すること(3)教育勅語を神格化する扱いをやめること-だった。この通牒の持つ意味は、勅語の神格化や絶対視はやめる。しかし、教育理念の一つとしては残すという趣旨だった。決して勅語の廃止を意図したものではなかった。

 実際に文部省は、教育基本法制定をめぐる国会審議でも、教育基本法と教育勅語とは矛盾するものではなく、教育勅語には「天地の公道たるべきものが示されてゐる」ので、これを「廃止する意思はない」と説明していた。また、高橋誠一郎文部大臣は、貴族院において、教育基本法の制定によって教育勅語は法的な効力を失うが、今後は、「孔孟の教へとかモーゼの戒律とか云ふやうなものと同様なものとなつて存在する」と答弁していた。

ところが、こうした政府・文部省の解釈は、昭和23年6月、衆参両議院で「教育勅語排除・失効確認決議」がなされ修正を余儀なくされた。

 近年の戦後史研究では、この決議の案文は占領軍の民政局によって作成されたことが実証されている。この決議の持つ意味は大きかった。決議を踏まえ、文部省が、教育勅語謄本の「本省への返還」を求める通牒を出した。この通牒によって、教育勅語は戦後教育の「理念」から実質的に除外されてしまうのである。

 その後、教育勅語に代わる道徳規準の提示も試みられた。たとえば、天野貞祐文部大臣は、昭和26年に「国民実践要領」の制定を提案する。ここには、教育勅語が感情的に否定されたとしても、そこに掲げられている「父母ニ孝二」以下の徳目は「妥当性を失ってしまった」わけではなく、「今日といえども依然として妥当性を有する」(『今日に生きる倫理』)という天野の強い思いが込められていた。

 教育勅語は、戦後教育が積み残してきた課題である。安易なイデオロギー論を排して教育勅語と向き合うことなしに教育再生は不可能である。(武蔵野大学教授 貝塚茂樹)

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