日々の活動やニュースに対する考え、視察の報告などをブログにまとめています。

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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)

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城巡りのススメ その2

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今日も城を巡りました。

まず最初は、久保田城。

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関ヶ原の戦いで石田三成に義理だてし、兵を出さなかった佐竹氏が茨城から転封されて開いた平城です。

私も勘違いしていましたが、天守閣はなかったんですね。
つまり、戦う備えではなかったわけです。

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佐竹氏が清和源氏の流れとは知っていましたが、家系図をみると武田信玄の武田家と近く、佐竹氏が本家筋になることは初めてしりました。

また、佐竹の家は戊辰戦争で最後は新政府方についたので、このへんは盛岡などと温度差がありました。

次の城は、角館にある古城山城。

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ここは佐竹氏がやって来るまで数百年戸沢氏の居城でした。

城下の町は佐竹氏一色になってますが、転封された戸沢氏や当時の領民の気持ちを想像しました。

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今の選挙区替えとはレベルが違います。政治家は昔の方が大変だったのかもf^_^;

三つ目のお城は、
今回4つ目の100名城の一つ南部氏の盛岡城。

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昨日ブログに書きましたが、
南部氏のルーツは14世紀に山梨からきたことから始まります。

最初は青森の三戸からスタート。
それが下北半島から遠野まで領地としたわけですから凄い手腕です。

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しかし、驚くことに盛岡藩の当初の石高はたった10万石。

加賀が100万石ですから、領地の割に少な過ぎます。
これかなり領民に還元していたのでは?なんて想像してしまいます。

その盛岡城は、本当に100名城?というくらい何もありません。

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お隣のもりおか歴史文化館はかなり立派ですから、もう少し城の整備をしては?と感じます。

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そのあたりを4年ぶりにお会いした盛岡市議会議長の金沢陽介氏に聞いてみました。

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すると、、、

盛岡は戊辰戦争で負けてから、かなり自分たちの主張を抑えてきた。
城の整備にもそれが、表れているのでは。

といった意見でした。

確かにそれはあるかもしれません。

しかし、今の時代にもう戊辰戦争を引きずることはありません。
盛岡は盛岡の正義を堂々と語るべきだと私は思います。

今日改めて気づきましたが、
金沢議長がおっしゃる『盛岡の配慮』は、
大東亜戦争で負けた『日本の配慮』に繋がるように感じます。

負けたんだから、、

というのは理解できますが、
いつまでも歴史の裏に押し込めらていると、次の世代がちゃんと育ちませんん。

もっと自分たちの地域や国の歴史や誇りはしっかり語り継ぐべきです。

外に押し付ける必要はありませんが、内うちではしっかり次の世代に伝えるべきです。

地域に歴史やドラマのたくさんある地は、羨ましいf^_^;

南部氏の歴史をドラマにしたら面白いでしょうね。

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城巡りのススメ

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一昨日からお休みをとり、

東北のお城を回っています。

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1591年。
秀吉の小田原攻めの翌年に東北で反乱を起こし、歴史に出てこない九戸政実の九戸城。

アテルイや奥州藤原氏、戊辰戦争などどうも東北の歴史は、中央の歴史にかき消される感じがしますね。

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南部氏の居城の三戸城。

14世紀以来東北で生き抜いた南部氏の歴史を学びました。

近くには、キリストの墓がある新郷村もあります。

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八戸にも、根城南部氏の根城があります。

この城をつくった南部師行は、南北朝の争乱で1338年、大阪の堺で戦死しています。

700年前のこの移動距離。
我々の動きなど軽いものですね。

当時の侍の生き様には感じるところ大。

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弘前城は関ヶ原の戦い後に、津軽氏が建築した城です。

これ以降の城にはあまりロマンを感じません。

関係あるのは、戊辰戦争くらいですかね。

皆さんも日本全国の城や城跡をめぐり、日本の歴史やその時代を生きた人の思いを見つめてみるというのはいかがでしょうか?

教科書で学ぶシンプルな歴史ではなく、血の通う歴史になりますよ。

2600年の歴史はすごい。

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龍馬プロジェクト 靖国参拝と研修

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昨日で龍馬プロジェクトの総会を終えて、今日は研修でした。

朝一番、大村益次郎像で集合して、靖国神社の昇殿参拝。

4月28日は毎年参拝します。
なぜならこの日は、サンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復した日だからです。

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靖国神社の松本さんから、たくさんお土産を頂きました。
ありがとうございました。

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参拝の後は、会議室で龍馬プロジェクトの活動方針説明。

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たくさんの人と考えを共有するのは本当に難しいです。

お昼には靖国神社を後にして、
千葉県流山市の視察に伺いました。

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松野議員、加藤議員に議会改革やICTの実践について生のお話をお聞きしました。

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また、井崎義治市長にも面談頂き、市のマーケティングのお話をお聞きしました。

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さらに、職員の方からもマーケティングと送迎保育ステーションのお話をお聞きしました。

流山市はターゲットを決めたマーケティングで、毎年2000人、人口が増えています。

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しかも若い世代。

人を集めるコンセプトやキャッチコピーをブラさない姿勢。
大変参考になりました。

さらに、駅前の送迎保育ステーションの視察もさせて頂きました。

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流山市は人気の視察先で、なかなか視察もさせて頂けないと聞いています。いろんな方々のご協力で視察が実現したことに感謝します。

さあ、総会で一区切りつきましたが、ホッとはしていられません。

来年は統一選があります。
龍馬プロジェクトメンバーには全員当選してもらわねばなりません。

第五期も責任持って頑張ります。

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第五回 龍馬プロジェクト 総会

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もう五年も経つんですね。

昨日は鎌倉の松尾市長をホストに、

鎌倉の円覚寺をお借りし、龍馬プロジェクトの第五回総会を開催しました。

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まず、スタートは座禅研修。

なかなか厳格に指導頂きました!

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総会には、首長会から鈴木三重県知事、松尾鎌倉市長、崎田日南市長、藤井美濃加茂市長も参加頂き、

次年度活動計画、予算、役員人事などを承認頂きました。

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昨年度は、若手ばかりで執行部を構成しましたが、今年度は統一選前という年なので、

チャーターメンバーをフル動員した、重層人事にしました。

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会長職も少しらくさせて頂きますf^_^;

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基調講演には、国際ネゴシエーターの島田久仁彦氏に講師をお願いしました。

テーマは、交渉、調停、リーダーシップ。

実用的な内容を学ぶと共に、
同世代で世界で活躍する方の話を聞き、みなさんの世界観を広げてもらう狙いでお願いしました。

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島田さんにはバッチリ話をきめて頂き、大変感謝しています。

G1サミットのご縁です。感謝。

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夜は、一番大切な飲み会(笑)

市長らもみんな残ってくれ、みんなで盛り上がりました!

これがないと龍馬プロジェクトではありませんf^_^;

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さあ、今日は靖国参拝とブリーフィングと視察です。

あと一日、頑張ろう!

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中国の情報戦にどう向き合うか?

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大東亜戦争の時も日本はシナのプロパガンダに相当やられています。

彼らが作りたい国際世論は、
『こいつら悪いやつだから、みんなでやっつけよう』です。

我々日本人からすると、、
世界制服とか、虐殺とか、性奴隷なんて
そんな馬鹿な話、と思いますが、、

知らない欧米の人は信じてしまうんです。

中国や韓国はどんどん日本の信頼を傷つけてくるでしょう。

我々がどう譲歩しても変わらない(>_<) 真実を訴えても意味があまりない。 中国などの思惑を理解し、我々もプロパガンダをやるしかない。 これは情報戦争なので、
相手が攻めてきたら、嫌でも戦わないと負けてしまうんです。

アメリカに頼るだけでなく、
外国を信頼するだけでなく、

自分たちでやらないと。

日本人の政治家や官僚には、戦国武将の気合いが必要です。

毛利元就や武田信玄、徳川家康などの知恵とリアリズムを学びましょう。

☆田中上奏文(たなかじょうそうぶん)は、昭和初期にアメリカ合衆国で発表され、中国を中心として流布した文書で、第26代内閣総理大臣田中義一が1927年(昭和2年)に昭和天皇へ極秘に行った上奏文とされ、内容は中国侵略・世界征服の手がかりとして満蒙(満州・蒙古)を征服する手順が説明されている。日本では偽書とされ、当時中国で流布していることに対して中国政府に抗議したところ、中国政府は機関紙で真実の文書ではないと報じたが、その後の日中関係悪化にともない1930年代に中国は反日プロパガンダにこの文書を利用し、日本は国連などでも答弁を求められるが各国は中国を支持し、日本は国際社会で孤立し外交的に敗北することになった。日本の歴史家のほとんどは上奏文としては怪文書・偽書としているが、作者については諸説あり不明である。また、田中上奏文を本物と考える人は現在でも特に日本国外に存在している。

田中メモリアル・田中メモランダム・田中覚書とも呼ばれ、中国では田中奏摺、田中奏折と呼ばれる。英語表記はTanaka Memorial。

中国の対日歴史戦”欧州巻き込みさらに 外国元首で初、デンマーク女王「南京大虐殺記念館」訪問

2014.4.27 23:04 産経

【上海=河崎真澄】中国国営新華社通信は27日、訪中しているデンマークのマルグレーテ2世女王が江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を参観したと伝えた。外国の国家元首が同館を訪れるのは初めて。

同館での女王の発言は伝えられていない。参観は約20分間。女王の中国訪問は35年ぶりで、24日には北京で習近平国家主席と会談した。

習主席は先月28日、ドイツ訪問時の講演で、旧日本軍によるいわゆる南京事件で、「30万人以上が殺害された」と主張していた。

歴史認識問題で、中国はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の過去を持つドイツの戦後対応と対比して、日本への批判を強めている。

新華社電は、南京事件のあった1937年と、その翌年にかけ、デンマーク人1人が“避難施設”を南京に置き、数カ月間で2万人近くを救助したとしている。

中国側がこうした話を手がかりに、女王に参観を働きかけたとみられ、中国が対日「歴史戦」で、欧州を巻き込む姿勢を改めて鮮明にしたと受け止められる。女王は同館参観後、同省蘇州市に移り、世界遺産に登録されている庭園「拙政園」を約30分間散策した。

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