中国の水問題は、対岸の火事ではない。


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今のことも、昔のことも全部日本や他人のせいにする。
一人の声かもしれませんが、
それを公然といえることが恐ろしい。
好意的に関係を築こうとした日本人が馬鹿をみる形になりますね。
歴史問題だけかと思っていましたが、、、
韓国旅客船沈没事故、有識者「日本製は致命的な事故につながる」の見解=中国メディア
2014-04-24 16:45 searchina
中国メディアのBWCHINESEは23日、中国認知語言学会副会長で北京外国語大学・外語教学研究編集委員の石毓智氏が、韓国の珍島(チンド)沖で沈没した旅客船「セウォル号」が日本で建造された船舶であったことについて、「事故発生時において、日本が製造した“乗り物”は往々にして致命的な損害をもたらす」などと主張していることを、同氏のブログを引用して伝えた。
記事によれば、筆者は日本製の特徴として「軽く精巧で、使いやすいため人気が高い」とする一方、「そのつくりは、軽くて薄く弱々しいため、往々にして致命的な事故につながる」などと主張した。
さらに筆者が、他の媒体から入手した情報としたうえで、「セウォル号は重心が高く安定性に欠け、沈みやすいという設計上の欠陥があった」と論じ、日本の建造側に非があるかのような主張を展開したこともあわせて紹介した。
筆者の主張通り、確かにセウォル号は1994年に日本で建造された船舶だが、新華社は22日、セウォル号の沈没事故には「増築によるリスク」や「乗員の訓練不足」など、安全上のリスクが複数存在する可能性があると報じた。
新華社は同記事で、韓国の船舶設計に関する専門家が「韓国側がセウォル号を日本から中古船として導入後、客室を後から増築したことで重心が偏るという安全上のリスクを拡大させた」と分析したことを紹介。
さらに、同専門家は「船舶の寿命は一般的に20年前後。1994年6月に日本の造船所で建造されたセウォル号は、日本で18年運航したのち、2012年に韓国側に導入された。改造して使用され続け、使用上の寿命を強制的に伸ばしていた可能性がある」と、セウォル号の運航・管理面における問題点を指摘した。
韓国側が増築していた事実に触れていない「日本製品のつくりが薄くて軽く弱々しいため、致命的な事故につながる」という筆者の主張は、あまりに乱暴な理論ではないだろうか。(編集担当:村山健二)
平成26年5月6日(火)産經新聞
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私はかつてはODAを行うこと事態に疑問を感じていました。
しかし、単なる海外援助ではなく、国内の企業にもメリットのあることが分かりましたし(政治家が間に入って利権にするのは問題外)、
実際に海外にいって、日本のODAでつくられたインフラなどを、現地の方が使いながら、日本を評価してくれるのを知って、意義のあることだ、と考えるようになりました。
今の日本があるのも、諸外国に支えてもらっての部分は大きいですから、できる恩返しはしないといけません。
けれども、明らかに日本に敵意を向ける国に援助をする必要はあるでしょうか。
中国の発展にと、要請を受けて中国に進出した企業はどうなったか。
未だに、歴史責任を問い、賠償金を求める国に、本当に協力する必要があるのか。
感情論にならないように注意しつつ、中国に出ている日本企業のことも考慮し、考える必要があります。
今後の日本のあり方、中国や韓国との関係を考えるターニングポイントに来ている気がします。
日本にも余裕がなくなってきています。
日本を貶め、軍事挑発している中国になぜ日本政府は年300億円も“貢ぐ”のか…いつまで続ける対中ODA、総額3.6兆円の“受け入れ難き現実”
2014.5.5 12:00 産経新聞
日本の政府開発援助(ODA)を利用して建設されたモノレール。だが、駅構内を探してもそれが分かる表示は見当たらなかった=中国・重慶市
尖閣諸島(沖縄県石垣市)への領海侵犯を繰り返し、東シナ海上空に防空識別圏を一方的に設定するなど、膨張主義的な政策を取り続けている中国。その中国に対し、日本が政府開発援助(ODA)をいまだに続けており、その額は1年で300億円にもなる。日本固有の領土である尖閣諸島を虎視眈々と狙い、歴史問題を振りかざして国際社会における日本の名誉を徹底的におとしめようとしている中国に資金提供とは…。にわかには信じられないが、動かぬ事実でもある。
■この瞬間も…3.65兆円の対中ODA
ODAは、低利で資金を貸す円借款、返済義務のない資金を供与する無償資金協力、技術や知識のある専門家の派遣や開発計画を支援する技術協力の3つに大別されている。
中国に対するODA供与は昭和55(1980)年に始まった。以来、平成23年度まで、日本は円借款3兆3164億円、無償資金協力1566億円、技術協力1772億円を中国に対して供与している。
円借款はかつて中国国内の空港・港湾、鉄道・交通網整備、発電所などの大型インフラ整備に投下され、中国の経済発展を支える基盤となった。しかし、「インフラの整備は結果的に中国の軍事力増強を下支えすることになりかねない」「円借款が中国国内でどのように使われているか不透明な部分がある」などの批判を受けて、20年の北京オリンピック前までに新たな供与を終了することで日中両国政府が折り合った。
平成19(2007)年12月に日中双方が確認した6つの案件を最後に円借款を新たに供与することを中止。だが、無償資金協力と技術援助についてはいまだに継続されている。
外務省が出している24年のODAに関する国別データブックによると、23年度の中国に対する無償資金と技術協力の額の合計は約41億円に上る。ただ、これはあくまでも外務省分であって、経済産業省や文部科学省などほかの省庁を合わせた数字はさらに跳ね上がる。
■中国に年300億円も「贈与」する事情
改めて外務省が出している24年版ODA白書をみてみると、23年の中国に対する無償資金協力は約1300万ドル、技術協力は2億8700万ドルの計約3億ドルに上る。1ドル100円で換算してみると、300億円にも及ぶ資金が日本から中国に流れていることになる。
低利で資金を貸し出す円借款は、中国が拒否しない限り、いずれ日本に回収される。しかし、無償資金協力と技術協力は「贈与」であり、日本には1円も返ってこない。
円借款の供与中止を決めた際、無償資金協力と技術援助が継続されたのは、黄砂、感染症、大気汚染などの対策や留学生を軸とした人材交流を深めて、日中両国の互恵的な関係を構築しようという狙いがあった。背景には巨額の資金を提供する円借款では日本国内の理解は得にくいが、環境対策や日系企業の進出を念頭に置いた中国国内の社会制度整備に対する援助ならば、大きな反対の声は上がらないだろうとの読みも政府内にはあったという。
だが、中国国内で発生した微小粒子物質「PM2・5」が流れ込むことに伴う日本国内での健康被害への懸念や頻発する反日暴動による日系企業への甚大な被害などを考えたら、こうした無償資金協力や技術協力がどの程度効果を上げているのかは極めて疑わしいといえるのではないか。
■無償資金協力と技術協力は残ったが…
無償資金協力と技術協力の継続を決めた当時、外務省内には留学支援などの人材育成について「将来の中国を担う幹部候補生を『親日派』に育成する意義は大きい」との声があったが、中国国内に吹き荒れる反日の嵐をみれば、こうしたもくろみは完全に外れたといえる。
ところが、中国に対するODA供与を改めて見直そうという目立った動きは外務省に起きていない。むしろ、無償資金協力や技術協力の成果や効果を強調している。ODAに関する国別データブックは、中国に対するODA供与について、「両国民間の相互理解の増進も日中関係の健全な発展を促進するために重要であり、そのような分野におけるODAを通じた取組は依然として一定の意義を有している」と記している。
■中国は戦争賠償の代替とのとらえ方
そもそも中国側には日本によるODA供与は、中国に対する戦争賠償の代替の意味合いを持っているとの認識がある。昭和47年9月に出された日中共同声明の第5項では、中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言しており、中国が戦争賠償の代替という認識を持っているとすれば完全な誤りだ。
しかし、平成12年5月に来日した中国の唐家●(=王へんに旋)外相(当時)は「中国に対するODAは、戦後賠償に代わる行為である」との認識を示した。つまり、「日本がわれわれ中国に対して資金を提供するのは当然であり、むしろ義務といえる」という意識が彼らの根底にあるといっていい。
■まだ見えない見直し論
中国は22年に国内
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5日間約1600キロの東北城巡りの旅が終わりました。
1日目 青森 根城 南部氏
2日目 青森 弘前城 津軽氏
3日目 秋田 久保田城 佐竹氏
3日目 盛岡 盛岡城 南部氏
5日目 山形 山形城 最上氏
最上義光が一代でつくったといっても過言でない山形城。
伊達政宗、直江兼続、豊臣秀次、徳川家康といった知将や権利者と渡り合えた義光がいなければ、今の山形の基盤はなかったかもしれませんね。
いつか大河ドラマの主人公にしてもいいくらいの波乱の人生を送った人物の居城です。
5日目 福島 二本松城
畠山、伊達、上杉、蒲生、丹羽と主人を変えた二本松城は、戊辰戦争の二本松少年隊でも有名です。
古来からの交通の要所をおさえる城には様々な物語があります。
5日目 宮城 多賀城
1300年前から東北当地の要となった城。300年ほど歴史にのこる東北の拠点です。
松尾芭蕉が感動したのもわかります。
今は、ほとんどが農地になっていますが、一時間かけてぐるっと周り、当時の様子を想像してみました。
******
今回のコンセプトは、政治を離れてあくまで趣味で、日本100名城をまわることでした。
もちろん、100名城以外にも城、神社、寺、世界遺産、博物館などをまわりました。
関西にいる私からすると東北は遠く、馴染みの薄い場所でしたが、
その気になれば5日でそこそこまわれます。歴史やロマンはもう無限にありますし、食べ物も最高!
青森では、八戸の藤川議員。
秋田では、中泉参議。
岩手では、盛岡の金沢議長。
山形では、酒田の佐藤前議員。
福島では、本宮の菅野議員。
皆さんに、いろいろご紹介頂きました。
突然の連絡に親切な対応、皆さんありがとうございました。
震災後 、東北には何度も来ていましたが、こうしてプライベートでまわるのは20歳以来でした。
じっくりまわるとその地域の光と影を観ることができます。
今回は書きませんでしたが、
やはり震災の影響も感じます。
いつも東北の方に言われたのは、一番の応援は、東北に来てお金を使ってもらうことだ、っていうこと。
今回は、がっつり使いましたよ!
今回の私の一連のブログをみて頂き、東北行きたいなと思って頂いた方は、是非東北へいって下さい。
私は城を切り口にしましたが、他にもいろんな切り口があると思います。
一週間もあれば、全県まわれますから。実証済みf^_^;
私はまた、100名城以外の城をピックアップして、周りたいと思います。
また、明日からは政治ネタに戻ります。
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今日は9世紀に坂上田村麻呂らが築いた志波城と胆沢城をまわり、
12世紀まで奥州藤原氏が栄えた平泉に行ってきました。
共通して言えるのは『兵どもが夢のあと』ということですね。
9世紀の城はほとんど農地になっていて、今発掘が進められています。
何もない田畑の中にポツンと石碑などが残されているのをみて、1200年前にこの地が栄え、人間ドラマがあったことに思いを馳せます。
また平泉などは、京都に勝るとも劣らない仏教芸術。どれほどの財力があったのかと想像しますし、それも一度戦いに敗れたらやはり庇護があっても駄目なんですね。
今は東京が栄えていますが、東京も400年前には湿原や野原。
この先どうなるかはわかりません。栄枯盛衰なんです。
2600年の重みは半端ないですね。
今日感じたのは、
1200年前と800年前の物語です。
本やネットで読んでいても、やはり現地にいかねばイメージは広がりません。
逆に一度訪れておけば、本などを読む度に画像が頭に浮かびます。
百聞は一見に如かず。
吉田松陰も坂本龍馬も日本中をまわっていましたね^_^
20歳の時もバイクで日本を一周しましたが、あの時はまだまだ知識がなかった。
今は今の知識でものを見るので見え方が全然違います。頭に入るものも。
また何年後かに、もっとゆっくり東北も周り、もっとじっくりいろいろ学びたいですね。
日本は城だらけの国。
それぞれの城にロマンがあります。
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