
レンタカーでのトラブルを乗り越えて、やって来ましたジーロングラマースクール本校へ。

チャールズ皇太子も通った学校で、
日本で言えば学習院と慶応を足して割ったようなエリート学校です。
先日のティンバートップの学生はここの中学三年生。
あまりの環境のギャップに驚きました。
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レンタカーでのトラブルを乗り越えて、やって来ましたジーロングラマースクール本校へ。
チャールズ皇太子も通った学校で、
日本で言えば学習院と慶応を足して割ったようなエリート学校です。
先日のティンバートップの学生はここの中学三年生。
あまりの環境のギャップに驚きました。
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今日の行動を振り返ります。
朝は大草原のマンスフィールド近くのモーテルからスタート。
羊や牛を見ながら四時間のドライブ。
昼前にバララットへ到着。
今日は、現地の学校に同行してもらえなかったので、
私は体験型学習のできるアミューズメントパークへ。
バララットは百六十年前に、ゴールドラッシュで栄えた町で、その当時の様子を再現しています。
アミューズメントといってもアトラクションなどはありません。
たくさんの子供たちが、コスプレなどをして、
当時ながらのキャンドルづくりや砂金すくい、歴史学習をしていました。
日本でいう民俗博物館を少しイベント的にした感じです。
吹田の博物館もこんな感じにしたらもっとたくさんの方に利用して貰えるでしょう。
楽しみながら地域の伝統や歴史の学べる施設でした。参考にします。
待ち合わせまで少し時間があったので、近くの野生動物公園でひと休み。
レンタカーを返したので、列車でメルボルンへ。
移動中、同行してもらっている日豪協会の会長から、現地の学校のヒアリング。
オーストラリアは外国語として、日本語に力をいれてくれていたのですが、
最近どんどん中国語におされ、日本語の受講者が激減しているとのこと。
皆さんなぜ激減しているかわかりますか?
学校で中国語を教えると中国政府から学校に報奨金がでるんです。
まさに中国の国策です。
オーストラリアは今もかなり親日ですが、日本人のオーストラリアに対する関心はあまり高くありません。
しかし、食料や資源など日本はかなりオーストラリアの助けを受けています。
そのオーストラリアの若者が将来、日本よりも中国に親しみを覚えたら、、、。
資源や食料に中国が日本より高値をつけるようになったら、、、。
オージービーフ食べられなくなります。
国会議員の皆さん、中国にODAを払うより、オーストラリアの若者に日本語や日本文化を学んで貰えるようなお金を払いましょう。
そんな話をしているうちにメルボルンに到着。
そろそろ日本食が恋しくなって回転寿司へ。
一皿250円もするんですが、全然美味しくない。とにかくオーストラリアは食べ物が高い。
500mlのジュースや水が三百円くらいするんです。
寿司屋のうどんも一杯千円。
ちなみにアルバイトの自給は20ドル=約1600円だそうです。
日本のデフレ。
なんとかしないと海外に行けなくなってしまう!
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ティンバートップの一日
〔アクティビティの無い場合〕
700 起床
725 朝食
830 教会
855 授業
1035 軽食
1100 授業
1230 掃除
1300 昼食
1400 授業
1600 課外 ランニングなど
1800 夕食
1900 自習時間
2030 軽食
2100 読書 〔ベッドで〕
2130 消灯
後半のレポート
昼食前には点呼があります。
昼食はこんな感じ。サラダも取れます。
カリキュラムのヒアリング
今日の課外活動は自由時間でした。
走らなくてよかった(-。-;
夕食。食事は必ず全員そろってから。
もう食べれません。
夜の自習を監督しました。一人一台のパソコンで宿題などをしていました。
彼らは現代史の教科書をもっています。内容は第一次大戦以降の歴史。
日本人がほとんど学ばないところです。
こっちの方が大切なのに。
自習の後は先生の家でお茶を頂きました。
帰り道では野生のウォンバットに遭遇。
目まぐるしい一日で頭がいっぱいです。
教育についてはまとめて報告するとします。
それ以上に、
ゆったりと流れる時間を感じ、私と同世代の先生方の人生設計を聞いて、
自分は何でこんなに時間に追われて生きているんだろうと少し虚しく感じました。
十三年前に、カナダでも感じたことです。
日本人のライフスタイルについて考えます。特に都市部での生活。
政治家を目指した原点でもあります。
日本の社会を変えるより、
海外に逃避する方がずっと楽に生きらる。私はすぐに出て行けます。
自信があります。
でも、私は日本人ですから、日本で踏ん張ろうと決めたんです。決めた以上やり抜かないと、自分の限界までは。
社会を変えるには若い人の意識を変えないといけない。
メディアや学校の教育で、マインドコントロールされた頭をなんとかしないといけない。
それには、まず自分がやってみせ、できることを証明しないと、、、。
多様な価値観を吸収し、新しいビジョンを提示しないと、、、。
それにはまだまだ、活動が足りません。
体がみっつほしいけれど。
走れる限り走ります。
後六年は頑張って。
それでどうにもならないようなら、
私には社会を動かす力がなかったということです。
またゆっくり海外でもまわって、
先生に戻りましょう。
子供を育てるのはやはり楽しいし、希望がありますから。
それまでゆったりした生活はお預けです。
今回の視察のメインを終えて、
自分の人生や目標を再確認した一日でした。