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PPP、PFIを学ぼう! 吹田市の現状を踏まえつつ。

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今日は吹田新選会主催、龍馬プロジェクトサポートで、

自治体の事業に民間の力いかすPPPやPFIの先進事例を学ぶ研修会を開催し、

関西一円の議員が集まりました。

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余談ですが、、
本当は今日は吹田市役所で吹田市の職員を交えて開催する予定でした。

吹田市のPFI事業は問題もありますし、

駅前の一等地に市営住宅をつくったり、駅近くの市有地を市長が売却したりし、吹田市民の財産が失われているので、

より有効な土地活用やPPP事業のモデルを職員にもシェアしたかったので、
職員が無料で参加できるように、

わざわざ吹田市役所を会場にしていたのに、

一昨日「龍馬プロジェクトが関わっているから政治活動ではないか」と横槍が入り、急に市役所の会議室が使えなくなりました。

私が議員なら、言っている相手を聞き出して直接いい含めにいくところですが、それができない今は、議会事務局の方に迷惑がかかるので、今日は会場を変えて開催しました。

もう少し余談を話すと、

吹田新選会は市長の最大抵抗勢力認定を受けており、

吹田市職員が議員に説明などに回る順番は、

1 自民党
2 公明党
3 一人会派
4 民主党系会派
5 共産党
6 新選会

となっています。

その流れの中で使用不可となるのです。

大阪維新の会の人気で通った市長
vs 吹田新選会

の構図ですが、
どちらが政治に対してまっすぐ向きあっていて、市民のことを最優先に活動しているか、
本当に市民のみなさんに真面目に考えてもらいたいところです。

さて、余談はこのあたりにして今日の研修会。

前半はパブリックマネジメント研究所の天米一志氏に、

いかに民間の資本やアイデアを活用して、自治体のインフラや住民サービスを向上させるかというアイデアを講義頂きました。

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お話を聞くのは三回目ですが、
厳しい質問もさせて頂き、改めて理解が深まりました。

行政が新規事業の要求水準を示し、民間の事業体と市民で事業案をつくりあげ、地銀などの民間から出資を受けて、事業運営をしながら利潤を生み出し原資と配当を渡していくモデルです。

未来の事業運営のモデルを学んだ気がしますし、吹田市のような都市型で人口過密の自治体なら100%成功事例が作れます。

私が3年前の吹田市長選挙でマニュフェストに入れた官民一体型の学校を実現するには最高のやり方です。

素晴らしいやり方ですが、
今日参加した前吹田市議の私と石川さん、現職議員4名が感じた結論は、

「どんないいモデルも市長が変わらないと絵に描いた餅だ」
ということでした。

吹田市なんて日本の中でも最強レベルの自治体なのに、リーダーがさえないから全く注目もされないのが残念で仕方ないです。

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二番目は長野県の小布施町の図書館改革を成し遂げられた、花井裕一郎氏に、図書館を中心にしたまちづくりについて講義して頂きました。

これも魅力的な取り組みで、秋には長野に視察にいくことになりそうです。

まちづくりはやはり人ですね。
最近たくさんの成功事例を学びますが、やはりその中心にはキーマンがいます。

キーマンをどう見つけてきて任せるかが、自治体の長や職員の力量だと改めて感じました。

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講義の後は懇親会。

来年の地方統一選挙にでる新人候補の方も何人か参加してくださり、いろいろ意見交換ができました。

私も市議会議員の仕事ならアドバイスができますが、なるのも大変ですが、なってからも大変な仕事。

皆さんの熱意にグッときた時間でした。

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藤井浩人 美濃加茂市長の件 続報 その6

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昨日あたりから新聞の報道も記事がなくなりました。

私の方には大手新聞社から取材などもあり、市長の活動や人柄について、もう少し両方の意見を聞きたいとのことでした。

地元のテレビでも市長に好意的な報道も出てきたとか。

また、今日までに3381名分の市長の釈放を求める署名も集まり、
裁判所や検察に提出するため、弁護士さんに手渡されたそうです。

そんな現状で今夜、担当の郷原弁護士がニコニコ生放送でインタビューにおうじられます。

私も事務所で見たいと思います。

【最年少・藤井美濃加茂市長収賄事件】

担当弁護士 郷原信郎氏独占インタビュー

2014/07/03(木)

20:50開場 21:00開演
【出演】

●郷原信郎弁護士(郷原総合コンプライアンス法律事務所)

●七尾功(ニコニコ政治担当部長)

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第18回 関西龍馬塾 日本の医療と栄養学

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今回の関西龍馬塾は、精神科医の銀谷翠先生をお招きし、医療をテーマにお話を頂きました。

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会の冒頭には、メンバーの辻由紀子さんにこれから変わろうとしている少子化対策について情報提供をしてもらいました。

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銀谷先生からは、まず先生が精神科医になるにあたって感じた現代の日本の医療に対する疑問や、製薬会社と医師との関係について。

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また、西洋医学のコピーも十分にできておらず、薬頼みになっている日本医療の課題や、東洋医学の見直しについて。

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最後には、生活保護にも関連する精神科の医療の大問題と、それを改善するための政治家への具体的提案を頂きました。

今回は熊本や富山のメンバーも参加してくれていましたが、政治家の参加が少なかったのが残念です。

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私の声がけがまずいのか、政治家の勘が鈍いのかわかりませんが、

国民の命に関わる食や医療の問題にもっともっと政治家の関心を喚起したいと思います。

こうした話は生で聞かねば伝わらないので、今後また機会を作っていきます。

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藤井浩人 美濃加茂市長の件 続報 その5

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今日は、我々友人が書いた寄せ書きが藤井市長に届いたと連絡がありました。

大変喜んでくれたようで、
本人に代わり弁護士が藤井市長のフェイスブックから情報配信することが決まったようです。

フェイスブックから
「藤井浩人」で検索して下さい。

また、方々で藤井市長を応援する動きもでてきました。

早期釈放を求める署名サイトはこちら

https://www.change.org/ja/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80-%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%9C%B0%E6%96%B9%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%BA%81-%E7%BE%8E%E6%BF%83%E5%8A%A0%E8%8C%82-%E8%97%A4%E4%BA%95%E5%B8%82%E9%95%B7-%E6%97%A9%E6%9C%9F%E9%87%88%E6%94%BE%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B%E5%A3%B0%E3%82%92%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E3%81%AB%E5%B1%8A%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%99-2

『政治とカネ』を改めて問うための事件だそうです。

愛知県警には、大阪の吹田市も飛び地で管轄して欲しかったです。

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戦争の回顧録

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戦争を経験された方々がこうして回顧録を書いて頂くことは非常に有難い。

いいことも悪いこともご自身の経験を伝えて頂きたい。

今回のように英語で書いてもらえたらなおさら有難い。

おそらくこれからも日本は敗戦国としていろいろなプロパガンダをしかけられます。

その時に、我々が頼れるのは、当時を生きた方の誠実なメッセージです。

90歳の元海軍少尉
英語で回顧録 カミカゼ志願は命令でなかった

産経新聞 6月29日(日)7時55分配信

 学徒出陣して海軍飛行科予備士官となり、特攻隊の募集に「望」と答えた90歳の元海軍少尉が、英語で「カミカゼと日本文化 回顧と再評価」と題する草稿をまとめた。「特攻志願は“命令”ではなかった」と強調する元少尉は、「カミカゼ」を民間人も標的にする現代の狂信的な「自爆テロ」の源流だと認識しがちな外国人に特攻隊の本質を理解してもらおうと健筆を振るった。(岡部伸)

■熱望・望・否の3択

 草稿をまとめたのは、メキシコ南バハ・カリフォルニア州ラパス在住の渡辺啓三郎さん(90)。

 渡辺さんは、昭和18年12月、学徒出陣して広島県の大竹海兵団に入団。19年2月に第1期海軍飛行専修予備生徒として三重航空隊に入隊した。

 約3カ月間、飛行訓練を受けながら適性検査を受け、ナビゲーションを担当する偵察士要員となった。鈴鹿航空隊に転属し、同年5月から約半年間、偵察士としての訓練を終えた同年11月ごろ、上官から特攻隊に志願する意思があるかどうか紙に書くように命じられた。制限時間5分以内に「熱望」「望」「否」の3択から選ぶというもので、返事をしない選択肢はなかった。渡辺さんは、迷わず、「望」を選択した。

 しかし、配属されたのは無線兵器(戦闘機電話・電波探信儀)の整備員を養成する藤沢航空隊だった。選抜で書いた「望」は「熱望」につながると考え、命令が来れば、いつでも特攻として出撃すると覚悟してレーダーの実験飛行などを続けたが、終戦となった。

 選抜で「望」としながら前線の実施部隊に派遣されなかったことを疑問に感じていたが、特攻隊として、前線に配属されたのは「熱望」と答えた者だったことを戦後知った。実際、特攻隊として南の空に散った同期生はいずれも「熱望」と答えていた。20人いた同じ班で「熱望」と書いた3人が出撃しながら3人とも飛行機故障などで生還した。

 大多数が「望」と回答した中で、「否」と書いた者もいた。上官から呼び出されたが、「故郷の村で唯一の大学卒業生なので生きて帰りたい」と伝えると、容認され、罰則を受けることはなかった。

■日本文化そのもの

 終戦後、31歳で貿易商社を立ち上げ、「カミカゼ・サバイバル」のビジネスマンとして戦後を生き抜いた渡辺さんは、特攻の選抜について「俗説のような命令による強制ではなく、忠臣蔵の四十七士のように自発的に窮地の祖国に尽くそうとする各人の意思を重んずるかたちで行われた。和を重んずる日本文化そのものだ」と語る。

 また敗戦後にインドネシアで2千人以上の残留日本軍兵士が独立戦争に関わったことなどをあげて、「アジアの白人支配からの解放も目的の一つだった」と述べ、英語で脱稿した回顧録を上梓(じょうし)する出版社を探している。

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