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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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先の大戦タブー視がはばんだ「英霊の帰還」

気になるニュース |

数年前から笹幸恵さんのお話も聞かせていだいていますが、

まだまだ事業の進みは遅いようです。

国のために戦って下さった方々を大切にしない国はいつか溶けて消えてしまうように感じます。

日本人から「国」という概念がなくなっていっている気がします。

遺骨収集。
予算をつけて高校生の修学旅行などに組み込めないでしょうか。

回収と未来への投資として。

先の大戦タブー視がはばんだ「英霊の帰還」 遅きに失する戦没者の遺骨収容…ようやく「国の責務」として始動
2015.1.7 10:00更新 産経

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荼毘に付される戦没者の遺骨=平成25年9月、ガダルカナル島

 先の大戦から今年で70年を迎える。祖国や家族を守るために海外の激戦地に赴き、戦死した旧日本軍人らは約240万人に上るが、今も戦域には戦没者約113万人分の遺骨が放置されたままだ。安倍晋三首相は遺骨収集事業を「国の責務」として強化する方針を示している。大戦末期、日米が激戦を繰り広げた硫黄島(東京都小笠原村)を訪れ、遺骨が下に眠る滑走路にひざまずいた安倍首相。英霊を祖国に帰還させるという思いは歴代政権で最も強いとされるが、待ち続ける遺族の目には「あまりに遅い」と映る。なぜ、長らく事業は進まなかったのだろうか。(池田祥子)

◆ガ島での自主収容

 「遺骨発見!」

 民間の遺骨収集団体がガダルカナル島(ソロモン諸島)中西部の密林内に踏み入って間もなく、発見を告げるメンバーの声が無線から響いた。

 この場所はかつて旧日本軍の野戦病院があったとされ、「ガダルカナル島未送還遺骨情報収集活動自主派遣隊」が、昨年に引き続き活動を進めていた。

 それまで現地住民らが保管していた遺骨の受領が中心だった政府派遣に対し、生還者が作成した地図などをもとに、平成23年から、旧日本軍が密林内に作った迂回(うかい)路「丸山道」沿いで遺骨捜索を独自に実施。自費で参加した僧侶や会社員、大学生ら19~66歳の21人が昨年9月10日から計5日間、現地住民と野営をしながら遺骨収容を進めた。

 この取り組みに記者も取材で同行した。

 現地住民がブッシュナイフと呼ばれる大型の刃物で木の枝やつるを切って道を造り、密林内を進む。木の間の少し平坦(へいたん)な土を掘ると、茶色く変色した遺骨が見つかった。数人分が一緒に発見されたり、大きな木の根元から掘り起こされたりしたほぼ完全体の遺骨もあった。

 5日間で収容した遺骨は計39人分。どの遺骨も、70年余りの時を経てようやく太陽の光を浴びた。

 「こんなところに放っておかれて…。一緒に帰りましょう」。メンバーが遺骨に語りかける。ガ島では2万1千人が戦死し、3分の1にあたる約6900人の遺骨が未収容とされる。

 道沿いならば分かるが、野戦病院跡とされるこの場所がなぜ、今まで遺骨の調査や収容もされずに放置されていたのだろうか。

◆進まない取り組み

 ガ島やパプアニューギニアなどかつての戦場に加え、近年ではシベリア抑留での死者がいるロシアを中心に、戦没者の遺骨収容が行われている。

 海外での戦没者約240万人のうち、日本に帰還した遺骨約127万人分の多くは戦後直後に引き揚げ者が持ち帰った。日本政府が昭和27年から始めた遺骨収集事業で収容したのはわずか約34万人分だ。

 政府の派遣団は生還者や遺族で構成され、昭和40~50年代は密林で野営による自活生活を続けながら遺骨を収容していた。ところが歳月が経過し、生還者や遺族は高齢化。さらに南方地域は旧日本軍が敗走を重ねたため将兵の遺体が野ざらしのまま散逸したり、埋葬した場合でも当時の資料が失われたりした。

 地形も大幅に変化し、場所の特定すら困難になりつつある。また、政府よりも地主の権利が強いため、金銭を要求されるなどして収集できない地域もあるという。

 こうした背景から、近年では現地住民が保管していた遺骨を受領したり、関係者から情報が寄せられた場合に収集団を派遣したりするケースが増加。収容数も減少傾向だ。

 あきらめきれない気持ちの一方、「もう無理かもしれない」と語る遺族らも少なくない。

 日本と対照的なのが米国だ。戦死者の遺体回収や遺族への返還を行う専門機関が米軍に設置されている。約400人のスタッフが「すべての兵士を故郷に帰す」のスローガンで各地で活動を続け、数人の行方不明者を探すためにも多くの人員や機材を投入する。

◆「これからが本当のスタート」

 縦割り行政の弊害、予算不足…。日本の遺骨収集事業の遅れには、さまざまな問題が指摘されてきた。

 そんな状況に対し、ガ島自主派遣隊などの民間団体が独自に活動を始めた。

 自主派遣隊隊長、崎津寛光さん(42)=東京都台東区=は「自分たちで密林に分け入り、自活できる自己完結型の活動を目指している」と語る。

 同隊では、現地在住の隊員が事前調査も実施している。腰が重い厚生労働省に対し、自ら進んで遺骨を収容することで働きかけようという狙いだ。

 事業が大きく動いたのは平成22年度。当時の民主党政権が硫黄島での事業強化を表明。「日本を、取り戻す」のスローガンを掲げて政権を奪還した安倍首相も方針を引き継ぎ、さらに「国の責務」として硫黄島以外でも強化することになった。

 なぜ、こんなに時間がかかったのか。「政治家の怠慢もあるが、私たち国民も触れたくないものとして、あまりに過去を振り返らなさすぎた」。ジャーナリストの笹幸恵さん(40)は指摘する。

 日本では戦後、先人の行為をやみくもに否定するような「戦後教育」が長らく続いた。先の大戦がタブー視され、戦没者への追悼すら口にしにくいような環境が続いてきた。

 政治状況をみれば、二大政党の「55年体制」が続いた。その中で「戦争は二度と起こしてはならない」という論調への気兼ねもあったのか、自民党は遺骨収集に関して「責任政党」としての役割を果たしてこなかったという背景がある。

 国や家族を守るために戦地に赴いた兵士らは「戦死したら靖国神社にまつられる」という国家との〝約束〟を信じて戦った。その思いにこたえるのは国として当然のことだ。

 ようやく政府主導で前進しようとしている遺骨収集事業。笹さんは「遅きに失する感は否めないが、これからが本当のスタート。どこで区切りをつけるのかを念頭に置きながら注意深く進めてほしい」と注文をつける。

 掛け声だけで終わらせてはならない。

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